どのような将来が待っていても、「従ってきなさい」~「おっちょこちょいのペテロ」
「サンクチュアリにもいる」ようです。
私も、その一人かと思います。
キングスリポート9月5日から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
エルダー王とグレッグ・ノール王が2代王様の代わりにいます。
今日のリマは使徒行伝4章です。 ペテロはイエスが地上にいらっしゃる時、イエスのことをよく理解できませんでした。
イエスが談判祈祷をして山からおりるとき、ユダが兵士たちを連れて来ました。 その時ペテロは、兵士をナイフで攻撃しました。 意味もなく勇敢になりました。
しかし、イエスが十字架で亡くなる時、イエスを3度も否定しました。 勇敢でなければならない時に勇敢にできませんでした。 もしイエスを否定しなかったら、右の強盗ではなく、ペテロがその席にいたのです。
その他のエピソードは、下記です。
ヨハネによる福音書/ 13章 08~09節
ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。
シモン・ペテロはイエスに言った、「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」。
ヨハネによる福音書/ 21章 07~08節
イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。
しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、魚のはいっている網を引きながら帰って行った。陸からはあまり遠くない五十間ほどの所にいたからである。
「おっちょこちょい」とも言えますが、「一生懸命」とも言えます。
ヨハネによる福音書/ 21章 15節
彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。
「3度の否定」を「蕩減」するための問答です。
しかし、イエス様とペテロの「絆」を感じます。
ヨハネによる福音書/ 21章 18~22節
よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。
これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
ペテロはふり返ると、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのを見た。この弟子は、あの夕食のときイエスの胸近くに寄りかかって、「主よ、あなたを裏切る者は、だれなのですか」と尋ねた人である。
ペテロはこの弟子を見て、イエスに言った、「主よ、この人はどうなのですか」。
イエスは彼に言われた、「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい」。
どのような将来が待っていても、「従ってきなさい」
他の人のことは気にせず、「従ってきなさい」
ペテロに似ている私達も、そのように願われていると思います。
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その後、書いた記事です。
3 「父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。」
5 「私たちは完璧ではなくても、ベストであることができます。」
7* 「行くことがみ意ならば、どんな方法であれ私を行かせてくださり、行くことがみ意でないなら、どんな方法であれ行けないようにしてください」
8 「真の父母様に出会うことができていなければ、私はこの世で最も哀れな人になっていたでしょう。」
9 「私がいなければならない所を一番よく知って、私が一番幸福になり、満足を感じ得る場所に私を導かれる」
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「誰よりも私を愛せ」「全ての財産を捧げよ」~「血統の権威」~「兄弟の一体化」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)