家庭連合を思い出す 様々な聖句
聖書を読めば読むほど、そういう聖句に出会います。
知性も良心も汚れてしまっている
テトスへの手紙/ 1章 15節~16節
きよい人には、すべてのものがきよい。しかし、汚れている不信仰な人には、きよいものは一つもなく、その知性も良心も汚れてしまっている。
彼らは神を知っていると、口では言うが、行いではそれを否定している。彼らは忌まわしい者、また不従順な者であって、いっさいの良いわざに関しては、失格者である。
まるでジョージ・ソロス等「サタン主義者」に対するような、厳しい批判です。
しかし、「彼らは神を知っていると、口では言う」とあるので、むしろ家庭連合のようです。
今や家庭連合も「サタン主義者」だから、仕方がありません。
「偶像崇拝」「全体主義」です。
(直近では、「暴力容認主義」と分かりました。)
退けなさい
テトスへの手紙/ 03章 10節~11節
異端者は、一、二度、訓戒を加えた上で退けなさい。
たしかに、こういう人たちは、邪道に陥り、自ら悪と知りつつも、罪を犯しているからである。
救いようがない「確信犯」ということです。
無益であった
ヘブル人への手紙/ 04章 02節
(前略)
しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。
御言が「利益」だと思わないから、給料等の「利益」を追求しています。
不可能である
ヘブル人への手紙/ 06章 04節~06節
いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、
また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、
そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である。
やはり「戻る」のは不可能でしょうか。
重い刑罰に価する
ヘブル人への手紙/ 10章 29節~31節
神の子を踏みつけ、自分がきよめられた契約の血を汚れたものとし、さらに恵みの御霊を侮る者は、どんなにか重い刑罰に価することであろう。
「復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と言われ、また「主はその民をさばかれる」と言われたかたを、わたしたちは知っている。
生ける神のみ手のうちに落ちるのは、恐ろしいことである。
「不信者」は「怖いもの知らず」です。
わたしたちに属さない者
ヨハネの第一の手紙/ 02章 19節
彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。
種類が違う「嘘つき」や「愚か者」です。
不信心な欲のままに生活する
ユダの手紙/17節~18節
愛する者たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの使徒たちが予告した言葉を思い出しなさい。
彼らはあなたがたにこう言った、「終りの時に、あざける者たちがあらわれて、自分の不信心な欲のままに生活するであろう」。
「内縁の妻がいて、3歳とまだ小さい赤ちゃんの2人の子供がいる」牧会者のような者たちです。
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