埼玉サンクチュアリ教会(日本サンクチュアリ協会 埼玉教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「聖霊」に関する聖句

原理講論170~171頁から引用します。

イエスは「わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう」(ヨハネ一六・25)と言われることによって、終末に至れば再び新しい真理のみ言を下さることを約束されたのである。


(中略)


そればかりでなく、イエスは弟子たちにまでも、「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」(ヨハネ一六・12)と、心の中にあるみ言を、みな話すことのできない悲しい心情を表明されたのである。


しかしイエスが語り得ず、心の中に抱いたまま亡くなられたそのみ言は、永遠に秘密として残されるのではなく、「真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう」(ヨハネ一六・13)と続いて言われたように、そのみ言は必ず聖霊により、新しい真理として教えてくださるようになっているのである。

「中略」より前の部分は、「終末」について書かれています。
しかし、「中略」より後の部分は、「真理の御霊が来る時」について書かれています。


従来、これを読んだ私は、「真理の御霊」とは「再臨主」のことだという、漠然としたイメージを持っていました。
しかし、最近になってやっと、「真理の御霊」とは「聖霊」のことだということを、明確に理解しました。


ヨハネによる福音書/ 14章 16~17節

わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう


それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

ヨハネによる福音書/ 14章 18~19節

わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。

 

もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。

連続する「節」ですが、区切りました。
これも紛らわしいものです。


前半は「聖霊」に関する聖句です。
後半は「再臨」に関する聖句です。


「聖霊」が話題となり、「クリスチャン伝道」を考えた時に、「知的」には、やや「神経質」になります。
しかし、もっと「大胆」に、「聖霊」に委ねるべきかも知れません。



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過去のブログに関するお詫び

8月18日の当ブログのコメント欄から引用します。

ホープ 2018/08/18 18:08 

説教の動画を見て直接確認したのですが


世界の聖殿食口が韓国に集まって…

ではなく 


전세계 성전식구들이 한곳에 모아서...

全世界の聖殿食口が一ヶ所に集まって… 


が正確だと思います。

한곳에を한국에に通訳の方が聞き間違えているようです。

キムフジオ 2018/08/18 23:59

>ホープさん


チョングンナムさんのハングルを今、確認したら、「一か所」になっていました。だから、フジオのまちがいということです。しかし、私がそのハングル書き取り文をコピーときには、「韓国」になっていて、それが私のコンピュータに保存してあるですが、チョングンナムさんが後から「韓国」から「一か所」に替えられたようです。とにかくすみませんでした。


この訂正(再訂正:「一か所」⇒「韓国」⇒「一か所」)の重要な意味は、「二代王御自身はまだ韓国に未練がお有りのようです」という「推測」の取り消しです。


ところが私は、次のような文章を、事後追加しただけでした。

(後から頂きました、ホープさんのコメントにも、感謝申し上げます。

韓国語は、自分で判断できず、恐れ入ります。)

コメント欄は目立たないので、上記の訂正(再訂正)が周知されない恐れがありました。
その点、責任感不足を反省し、お詫び申し上げます。


****


(蛇足)


関連して思い出した、9月17日の「morison30000のブログ」から引用します。

この頃 王様が語られた御言葉の中に すでに国はないという言葉をおっしゃられていた記憶しております。

その事を考えた場合 韓国 日本という摂理国家は 責任を終了し


新たに 完全にカインとアベルが 一体化し その土台で 信俊様が摂理を継承していく時代へ向かう荒野路程であることを感じます。


 いわゆる 韓国 日本は終わった!!!必死に頑張ったけど失敗したという事です。

再び「責任感不足」かも知れませんが、「引用」だけで終わります。
「自分で判断できず、恐れ入ります。」



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「人間が個性完成をした場合でも、悪を選択する可能性が残るのか?」

関連する話題は、以前も考えたことがあります。


Give me some truth ! のブログの、「質疑応答(エルダー本部長 2017年)のまとめ」から引用します。
(執筆・掲載に感謝申し上げます。)

【天国にも悪が存在する可能性について亨進様が言及されているが、これは創造原理の捉え方(アダムとエバが完成すれば、子女は自動的に完成する)が間違っているということか?】


①私(エルダー本部長)が1975年に入教して2年後に周藤健さんの講義を聴いたが、その中で天国ができても堕落する可能性はあると聞いていた。


②人間には自由があり、善を選択する可能性、悪を選択する可能性の両方が必要なのではないか?善しかなく、善しか選択する事ができない世界というのは考えにくい

【人間が個性完成をした場合でも、悪を選択する可能性が残るのか?】


①原理は、完成した人間が堕落するとは言っていないので、それは無い。


「アダムとエバが完成すれば、子女は自動的に完成する」
確かに、そのような漠然としたイメージはありました。
しかし今回、明文を見つけられませんでした。


原理講論の創造原理から

アダムとエバが完成された夫婦として一体となったその位置が、正に愛の主体であられる神と、美の対象である人間とが一体化して、創造目的を完成した善の中心となる位置なのである。ここにおいて、初めて父母なる神は、子女として完成された人間に臨在されて、永遠に安息されるようになるのである。このときこの中心は、神の永遠なる愛の対象であるために、これによって、神は永遠に刺激的な喜びを感ずるようになる。また、ここにおいて初めて、神のみ言が実体として完成するので、これが正に真理の中心となり、すべての人間をして創造目的を指向するように導いてくれる本心の中心ともなるのである。

「創造目的を指向する」に止まります。


人類歴史の終末論から

このように、個性完成して、罪を犯すことができなくなったアダムとエバが、神の祝福なさったみ言どおり(創一・28)、善の子女を繁殖して、罪のない家庭と社会とをつくったならば、これがすなわち、一つの父母を中心とした大家族をもって建設されるところの天国であったはずである。

「善の子女を繁殖」も、「自動的」ではなく、「条件的」であるようです。


今回、考えさせられたのは、次の御言葉がきっかけです。
聖霊体験と二世も罪が多い事実■キングスリポート9月18日 から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

堕落しなかったし、私は、酒やタバコもせず、幼い時に祝福を受けて、子供たちもいます。
そして真のお父様から後継者としての印を頂きました。

しかし、私は自分が罪人だと告白することができます。

真のお父様の前でも、真のお父様に"お父様、私は罪人です。神様を否認して否定して憎みました'と話したことがあります。


父なる神様は私たちが従順で謙遜である時、私たちをもっと愛して下さります。有難く思われます。

真のお父様も私がそのように言った時、有難く思われ、そのような従順で謙遜な姿を誇りに思われました。

「第3アダムの直系子女」、二代王様は、「善の子女」かどうか、という論点を考えさせられました。


お父様に仕えるという言葉は、多くの瞬間に従順が必要です。

真のお父様が私を何か所有しようとしたとか、私を奴隷扱いにしたとかという話ではありません。

孝子というのは、多くの瞬間に自分の考えや利害を考えず、お父様に合わせなければならないことがあるというのです。

自由意志があるので、「自分の考えや利害」があります。
それにもかかわらず、「従順」して、「お父様に合わせなければならない」ので、時には「神様を否認して否定して憎みました」と告白されたのではないでしょうか?


文鮮明先生말씀選集の、真の世界創建の主役  (5) から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

そう、生まれのいい人、これは生まれが悪い人がいるために生まれがよい人だと決定ができる。そうじゃないか? 悪い人がいるために善なる人を、、悪い人を条件に善を決定できるのだ。そのようになったのだ。相対的な関係を抜け出ては言葉も言えない。


ご自分の「罪人の心」「悪い心」を相対化・対象化して、分別できる二代王様は、「善の子女」だと思います。
だからこそ、御父様も喜ばれました。
それを模範として、「カインの子女」、祝福家庭も、「善の子女」になるべきだと思います。


(「善の子女」はともかく、「個性完成」はどうか? 
それは、まだ考えないでおきます。)



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