から引用します。(執筆・掲載に感謝申し上げます。)
「神からのもの」と判断する基準
ある霊的な経験が本当に神からのものであるかを考えるとき、その経験が人を神の愛へと導き、より誠実に他者を愛し、自らの責任を果たす方向へと導いているかを見ることが一つの基準になります。
反対に、その経験によって、自分だけが特別に神の意志を知っていると考え、他者の意見を聞かなくなっているのであれば、自分自身の思いや判断が入り込んでいないかを改めて確かめる必要があります。
下記に重ねて感謝申し上げます。
から、もう一度、引用させて頂きます。(太字強調は私がしました。)
しばらく菅井氏のブログをのぞきたくないと思っていたのは、記事を読んで恩恵を受けるよりも不気味な気持ちになってしまうからでした。
自分が事の発端でありながら、不当な攻撃を受けていると100%被害者の立ち位置で、
摂理の中心ゆえに“迫害”にあっている
というような解釈に、胸焼けする思いでした。警告⚠️だと主張する人々の攻撃が自身のパワー(養分)になるらしいホラー
。
そして、私などへのアドバイスも頂きました。
聖霊を受け入れよ…と唱えながら、実際は言葉でマウントをとって力づくに強要するやり方を、真似しなくていいです。
私も、たとえば次の過去記事があります。
●菅井の欠陥は、「関係性」「評判」という、天一国民の初歩。 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

●菅井教の「母性神崇拝」は、三代王権を滅ぼす。 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
●「くると教」は、サンクチュアリではありません。 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
●菅井の「順位詐偽」と「虚言癖」の証拠(犯罪者の自己弁護は無意味です) - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
