亨進様の御言葉と、御父様の御言葉の「同時性」 58年の時を経て
「3月26日質疑応答-文亨進様(日本語訳その2)」から引用します。 (翻訳・掲載に感謝申し上げます。) キリストのために死ぬ人は自尊心や自分の願望から抜け出て神様の答えを探し求めます。それは自分の命がどのように使われるかということであり、自分の栄光や目的ではなく神様の目的のためです。 彼らはもっと... 続きをみる
私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。
亨進様の御言葉と、御父様の御言葉の「同時性」 58年の時を経て
「3月26日質疑応答-文亨進様(日本語訳その2)」から引用します。 (翻訳・掲載に感謝申し上げます。) キリストのために死ぬ人は自尊心や自分の願望から抜け出て神様の答えを探し求めます。それは自分の命がどのように使われるかということであり、自分の栄光や目的ではなく神様の目的のためです。 彼らはもっと... 続きをみる
先祖解怨祝福式の恩恵に、感謝申し上げます。 私事ですが、当ブログに激励を下さる皆様にも、感謝申し上げます。 3月12日の亨進様説教から引用します。 (翻訳・掲載に感謝申し上げます。) もし韓氏オモニが失敗せずにお父様の王権を受け入れて、真のお父様が任命した後継者、相続者を二代王として受け入れていた... 続きをみる
先に3月22日「王の報告」速報から引用します。 (翻訳・掲載に感謝申し上げます。) 三部 李会長: 鄭ギュジェのセミナー参加しました。 多くの人から尊敬を受けていました。天一国憲法を伝え、また会う約束をしました。 「天一国憲法伝道」の実践例の一端を知ることができました。 3月12日の亨進様説教から... 続きをみる
「天一国国歌の重要性」 御父様への愛のバロメーター 3月8日「王の報告」から
翻訳・掲載に感謝申し上げます。 御言葉に対する姿勢を転換させられるような内容でした。 聖書の御言は人です。人。これを人々は忘れています。人です。人。 お父様の御言も、それは御言選集、御言の本ではありません。人です。人。人を調べることなのです。 日ごとに人は違うじゃないですか。 日ごとに、本当に関係... 続きをみる
「天一国憲法の配布」 方向性の確認 3月15日「王の報告」から
翻訳・掲載に感謝申し上げます。 再臨主メシア、神様の本体、キリストの中心をいかにつたえるか 鄭ギュウジェなど天の側にいるマクロコスモスと連結させなければならない 天一国憲法が重要です。 残りの間どのように天一国憲法を配布することできるのか。 エイズと韓お母様の呪いが来ているのです。 滅びる前に天一... 続きをみる
3月1日「王の報告」から引用します。 (翻訳・掲載に感謝申し上げます。) 6年 全世界の食口だけでなく全世界万民が皆さんを迫害 6年の間、少なくとも戦いが数千もあるのに、難しくなればお父様を罵るのですか?不信するつもりですか? トランプを当選させたお父様の聖霊役事と、世界大統領を当選させたお父様の... 続きをみる
3月1日「王の報告」から引用します。 (翻訳・掲載に感謝申し上げます。) 死んでも死んでも十字架に逆にぶら下げられても私はお父様の国、天一国のために戦うでしょう これからは迫害と困難ともっと難しい戦いが起きます。 このような時は悔い改めながら、お父様の大きな愛とお父様の聖霊役事とお父様の慈悲とお父... 続きをみる
「自由の守護者」トランプ大統領と共に「神の国」を作りましょう
2月19日の亨進様説教から引用します。 (翻訳・掲載に感謝申し上げます。) 「主の祈り」 マイロ(ヤノプルス)はCPAC(保守政治行動会議)でのスピーチは評判になりましたしメラニア・トランプはメルボルンのトランプ集会を「主の祈り」で始めました。わたしたちのNINJAも練習の終わりに全員で「主の祈り... 続きをみる
最近訓読した、サムエル記の冒頭には、強欲な「公職者」が登場します。 シロには、エリのふたりの子、ホフニとピネハスとがいて、主に仕える祭司であった。 (サムエル記上/ 01章 03節) さて、エリの子らは、よこしまな人々で、主を恐れなかった。 (サムエル記上/ 02章 12節) その若者たちの罪は、... 続きをみる
昨日の当ブログは、結局「悪口」(皮肉、嘲笑)にしかならないと思います。 残念ながら、「恥をすすぐ」人は少ないでしょう。 それを象徴しているのが、「神明忠昭先生」です。 要するに、今までの「先生」は、もはや先生ではありません。 結局、信仰の無い人達だったということが分かりました。 その点では、言わば... 続きをみる