㉓「忍耐必勝」から 「兄弟同士が互いに和睦できないまま生きてきました。」
(翻訳・出版に感謝申し上げます。)
統一食口たちは、これまで神様も不信し、父母様も不信し、 不従順で孝の道を歩むことができず、兄弟同士が互いに和睦できないまま生きてきました。 神様は愛でいらっしゃるがゆえに、そのすべての過ちを赦してくださるために、最後の機会をもう一度下さったのだと思います。問題は、統一食口たちが心を一つに合わせ、神様の願われるみ旨を成し遂げて差し上げるために、私たちの父母様をありったけの思いを尽くして信じるかということです。食口たちの中には、自分たちの代でみ旨は成し遂げられないと釘を刺して言う者もおります。
私は彼らに、み旨は私たちの行いによって成し遂げられるので、必ずお父様の代で成し遂げられると説得します。私はそのように信じます。 今私の心では、すでにみ旨が成し遂げられています。さらに環境と全体でみ旨を成し遂げなければなりません。カナンは信じる者だけが入ることのできるところです。ヨシュアとカレブは強く雄々しく、また信念と確信を持っ ていたがゆえに、二世たちと共にカナンに入城しました。
この御言葉は、下記の「過ち」の中身を説明するものです。
で引用した、御母様の御言葉を再掲します。
272~3頁:主にきちんと侍ることができなかった私たちは、大逆罪人である
ダンベリーの苦難を通して、私は「統一教会」の食口たちが犯した罪が天を衝くほど大きいことを感じました。「私の過ちでお父様が獄中の蕩減の道を行かれるとは…。お赦しください!」 という祈りが自然と出てきました。祈るたびに熱い涙が止まりませんでした。
神様があらゆる内容をすべて教えてくださったのですが、 人間が責任分担を果たすことができず、再び来られた主にきちんと侍ることができなかった私たちは、大逆罪人であることは間違いありません。お父様の心情を慰労して差し上げ、お父様が勝利されるよう精誠を集めることが私たちの責任でした。
冒頭の御言葉によれば、「過ち」の中身は、信仰的(アベル的)な食口と、そうでない食口との「分裂」です。
(それは、善と悪、心と体、神様と自分、の象徴です。)
主イエスの十字架の血で
そのような問題に対して、上記、真の御母様らしい御言葉と、下記、二代王様(王妃様)らしい(?)御言葉があります。
「どこにでも喧嘩をする人はいます。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
「その人と一番親しい間柄になる必要はありませんけどね。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
八潮市のボブ・ディラン - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から、自分の言葉を引用します。
自分で止められる 間違いもあるけど
自分で止められない ことは仕方がない
間違えられもして 間違えもするけど
僕のやるべきことを 僕はやり続ける
どのような将来が待っていても、「従ってきなさい」~「おっちょこちょいのペテロ」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から、自分の言葉を引用します。
どのような将来が待っていても、「従ってきなさい」
他の人のことは気にせず、「従ってきなさい」
ペテロに似ている私達も、そのように願われていると思います。