群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

聖地の「紅葉」

真のお父様に帰ろう!サンクチュアリ教会『三代王権天一聖殿』: '20年10月7日水曜礼拝<全文> 私達が弱いとき神は私の力 ◆文亨進二代王
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
(こじかさんのコメントを頂き、出典を訂正しました。)

まさにその瞬間、神様の恩恵を、新たに出会ったという感覚を、「アボジ!感謝します!栄光をお受けください!」このような表現が、その金色の滝、金色の光(輝き)、金色の山々、金色の光の美しい庭園。千倍万倍更に美しいその愛を、もう一度新たに、泉の水のように飲んだ時、それは、讃美しない訳にいきません。いや、美しい山々や美しい木々だけを見ても讃美したくなるのに。その山々や木々、陽が落ちるその場面、その宇宙を創られた主、神様を知るようになって、その愛を新たに泉の水を再び飲んだ時、毎日毎日新たな泉の水を飲む。どうしてこれを讃美せずにいられるでしょうか。


松の木を見て賛美するのに、秋になれば紅葉が美しいのを見て、「わぁ、とてもきれいだ。わぁ、すごい。」このように讃美するのに。

神様との本当の関係があれば、そしてその泉の水を新たに毎日毎日飲むようになれば、どうして讃美せずにいられますか?ん?


これを読んでから、紅葉を見直しました。


×

非ログインユーザーとして返信する