聖地の「紅葉」
真のお父様に帰ろう!サンクチュアリ教会『三代王権天一聖殿』: '20年10月7日水曜礼拝<全文> 私達が弱いとき神は私の力 ◆文亨進二代王
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
(こじかさんのコメントを頂き、出典を訂正しました。)
まさにその瞬間、神様の恩恵を、新たに出会ったという感覚を、「アボジ!感謝します!栄光をお受けください!」このような表現が、その金色の滝、金色の光(輝き)、金色の山々、金色の光の美しい庭園。千倍万倍更に美しいその愛を、もう一度新たに、泉の水のように飲んだ時、それは、讃美しない訳にいきません。いや、美しい山々や美しい木々だけを見ても讃美したくなるのに。その山々や木々、陽が落ちるその場面、その宇宙を創られた主、神様を知るようになって、その愛を新たに泉の水を再び飲んだ時、毎日毎日新たな泉の水を飲む。どうしてこれを讃美せずにいられるでしょうか。
松の木を見て賛美するのに、秋になれば紅葉が美しいのを見て、「わぁ、とてもきれいだ。わぁ、すごい。」このように讃美するのに。
神様との本当の関係があれば、そしてその泉の水を新たに毎日毎日飲むようになれば、どうして讃美せずにいられますか?ん?
これを読んでから、紅葉を見直しました。