真の御父母様の「出会いの日」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
その日は1952年5月10日土曜日でした。朝から雨が降って教会で静かに祈祷を捧げていたが、ボムネッコルに住むというおかしな青年に会ってみなければならないという決心が立ちました。‘会ってみて明瞭であり神様に使われる人であれば伝道して神様の仕事をする働き手につくらなければならない。’という思いで教会を出ました。
午後4時ころ、道を出ようとすると雨がほとんど止んでいました。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
アボニムは部屋に入って来て私を見られると、‘「どこから来た?」と尋ねられました。そこで私は、「あの下に凡天教会があるでしょ?私はそこで女伝道師として仕事をしています。」と答えました。
するとアボニムは、「あ、この部屋が冷たいのだ。」と言われ緑色に星模様が描かれた敷布団を敷かれると「この上に上がって来て座りなさい、部屋が冷たいです。」と勧められました。私は、「私はここでも構いません。」と辞退をしました。しかしながらアボニムは継続部屋が冷たい敷き布団の上に上がって座りなさいと勧められました。勧誘に勝てずその上に座るとアボニムは、「今日が5月10日であるが、実に意味のある良い日に来られました。」と言われました。心の中で、‘今日が何の日なのであのように今日が良い日だというのか?’とじーっと心の中で考えてみましたが、何も浮かび上がることがありませんでした。
その時アボニムは、「私が以北から以南に避難に来たが、この家で貴重な文章を書き始めました。ところで今日がその文章書きを終えた日です。」と言われました。そうしながら、「今日文章を書く仕事を終え、今からは私が伝道をしなければならないという決心をして山に上がって祈祷をして降りて来る道です。」と言われるのでした。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
アボニムが、「ご飯を一食分けて食べることは何でもないのだから食事でも一緒にしていきなさい。」と言われるのです。そこで私は、「いいえ、わが家がすぐこの下にあるので何を食事して行きますか?今日はそのまま行かなければなりません。」と辞退しました。
それでもアボニムは今日の夕方に必ずここで食事をして行かなければならないと何度も言われました。韓国語の‘コッ(꼭;しっかり)’を日本語で、‘必ず’と言います。‘必ず’という言葉まで使われて、「今日必ず、是非とも、ここで食事をして行かなければならない。」と何度も話されるが、急に胸が締め付けられるようでした。‘꼭’というのはアボニムのみ言葉に深い情が感じられ魅了されて結局食事をするようになりました。
当時は戦争中なのですべての人たちがむつかしく生きていた頃でした。しかしながら夕食のお膳を受けてみるとあまりにもみすぼらしいお膳でした。玉世賢のお母さんが夕食のお膳を調えてきたが松の木で作ったお膳に歪みへこんだアルミの器に真っ黒な麦飯のご飯が盛られて出て来ました。おかずも新(漬)キムチに豆腐数切れを焼いて置いたのが全部でした。
そのようなお膳を前において座ったにもかかわらずアボニムは顔に喜びの光がいっぱい溢れていました。私と一緒に夕食をいただかれることがうれしかったようでした。後でアボニムが何度も、「その時は私が最も寂しい時だった。最も寂しい時だったために神様が姜賢実を送ってくださったのだ。」と話されました。
涙の出る、感動的な出会いです。
御二人が結ばれた結末を知っている、今だからこそです。
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