「相続」について 疑問が残る御言葉
前置きとして、目覚めるマスコミ、9・23康お母様聖婚より始まった奇蹟<2部>6月20日 韓国語説教 文亨進二代王から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
聖人は正直です。聖人は神様の前に正直です。聖人は自分を助けてくれる人に対して正直です。
自分の大変な部分、自分の強い部分もさらけ出して分ける、自分の誤った部分もさらけ出して分ける、人々がそれを通じながら発展することができるように。その人たちが直接にその失敗をする必要ないように。
これを読んだので、「正直」に疑問を告白し、「人々」の「発展」のために、情報提供・問題提起させて頂きます。
先に、5月11日の当ブログで引用した、國進様の御言葉を再掲します。
問題は自分が一生かけて努力してきたものをどうやって子供に伝えるかという問題が最大のポイントです。子供に関していえば、あなたは自分の血統を王として、自分が選択しなければなりません。自由意志と責任をもって自分が築いた財産を、(子供たちのうち)ジョンに与えるか、ジェイか、それともジェーンなのか・・・あるいは自分の責任を放棄して、子供たちに平等に分けるというか。世代を超えて主権を発展させる家庭になるか、一代限りの主権で終わる家庭になるかのそれが境目です。
二代王様も、同様な説教をされています。
その上で、文鮮明先生말씀選集の、創造偉業の相続とカイン、アベルの血統復帰 (10)から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
そう、神様のものになればその息子たちが受けたものを自分の所有とする為のものではない。アダムの後孫がおれば分け与えなければならないのだ。その分け与えたものを皆さんが神様のように全体を愛して霊界に行く時には子供たちに分け与えるが、神様が自分たちに分け与えたその伝統通り分け与えろというのだ。いくら後孫が多くとも、次第に狭くなっても同じ価値で分け与えろというのだ。自分が欲を働かせることが出来ないのだ。千の人であれば千の人に分け与えなければならないし、2百の国があれば2百の国に分け与えなければならない。
5色人種たちがそれを分け与えたにもかかわらず百年ほど行って争って自分たちの土地をつくると争うことのできるこのような主人足りうるのに分け与えるのか、神様のように似て小さくとも小さなものを大きなものを受けることのように感謝出来る心をもって天の血族になったことを栄光と知って生きることのできるこのような後孫たちのような、その後孫と同じようになるために共に分け与えるのかと言うのが問題なのだ。
御父様の御言葉と、二代王様・國進様の御言葉との「整合性」が問題です。
たとえば「機会の平等」とか、「一般的な精神論と、個別的な具体論の差」とか、それだけでよいのかどうか?
きっと答はあると思いますが、「正直」なところ、まだ分かりません。
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