「家庭連合の批判」最近の御言葉から
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
バビロンからエルサレムに
7 クロス王はまたネブカデネザルが、さきにエルサレムから携え出して自分の神の宮に納めた主の宮の器を取り出した。
8 すなわちペルシャ王クロスは倉づかさミテレダテの手によってこれを取り出して、ユダのつかさセシバザルに数え渡した。
9 その数は次のとおりである。金のたらい一千、銀のたらい一千、香炉二十九、
10 金の鉢三十、銀の鉢二千四百十、その他の器一千、
11 金銀の器は合わせて五千四百六十九あったが、セシバザルは捕囚を連れてバビロンからエルサレムに上った時、これらのものをことごとく携えて上った。
家庭連合の誰かが、二代王様から盗んだ物を返すために、「献金」と「食口」を携えて、「松濤本部」から「ニューファンドランド」に上ったら、それは大したものです。
部分だけ抜き出して
だから、ベンジャミン・フランクリンとトーマス・ジェファーソンは自分の文字で「私はディーエストだ。」ディーエストは神様を信じるがイエス様が本当に神様なのか分からない。しかし、ベンジャミン・フランクリンの文を見たら、そのように言うが、次の文に「私はそのように信じていたがそれがどれほど愚かなことだったか分からない。」このように出てくる。
だから、左派の奴らは前の部分だけ抜き出してベンジャミン・フランクリンは神様を信じていなかった。このように変えた。こいつらは。このように若者たちに教える。
しかし、ベンジャミン・フランクリンの文を直接見たら「自分は神様を信じてイエス様まで信じる」と出てくる。詐欺師、左派の奴らはわざとこういう。
家庭連合の「手口」を思い出します。
太田朝久元講師 「あまりに恥ずかしい」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
倫理をもう一度学ばなければいけなかった
しかし壁を作る前に、エズラ預言者は何をしたかと言うと、イスラエル民族を再び集めてユダヤ民族の文化、何故?それはイスラエル民族がバビロン、ペルシャにずっと住んでいたので、異邦の神を拝む愚か者になってしまった。
これはイシュタル(アシュトレテ)女神がやらせる事だ。これはどれだけ狂っているか。
ところでこれがあまりにも大衆化、一般化して、そこに住むイスラエル民族たちは、それが正しくないことであることを知らない。
だからイスラエル民族も左派、詐欺、アカになってしまったから、再びエルサレムに帰ってきたとき、倫理をもう一度学ばなければいけなかった。
「ニューファンドランド」に来る時には、「女神を拝むこと」や「御父様の決めたことを変更すること」は、「正しくないことであること」を知らなければなりません。
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「私たちが最大限良い牧師にならなければなりません。自分の家庭において。」
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