太田朝久元講師 「あまりに恥ずかしい」
下記を読みました。
(執筆・掲載に感謝申し上げます。)
2015/10/07の過去記事を思い出しました。
もしかすると、この時も、太田元講師が書いたものだったのかも知れない、と思いました。
それはともかく、今回の感想は次の通りです。
1.まるで説得力のない「失敗作」が恥ずかしい。
2.「失敗作」でも発表しなければならない「職業」が恥ずかしい。
3.自分も信じていないことを書く「不誠実」が恥ずかしい。
4.「不誠実」を公表しなければならない「みじめさ」が恥ずかしい。
私も、自分の人生で「恥ずかしいこと」がありましたが、今回の太田元講師の「恥」と比べて、救われた気持ちです。
今回、太田元講師のことを書いた動機は、リマです。
神様の「指示」を感じました。
ペテロの第二の手紙/ 02章です。
これは、まるまる太田元講師のための聖句だと思いました。
最初と最後だけ引用します。
ペテロの第二の手紙/ 02章 01~03節
しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。
また、大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである。
彼らは、貪欲のために、甘言をもってあなたがたをあざむき、利をむさぼるであろう。彼らに対するさばきは昔から猶予なく行われ、彼らの滅亡も滞ることはない。
ペテロの第二の手紙/ 02章 20~22節
彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。
義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。
ことわざに、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである。
将来、太田元講師が、「徳野氏や小山田氏に命令されたから」と、自分で告白するのも、恥ずかしいことです。
本人は黙っていて、徳野氏や小山田氏が「自分達が命令した」と、告白してくれればよいです。
しかし、徳野氏や小山田氏も、そのような人格があるとは期待できません。
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