亨進様の御言葉と、御父様の御言葉の「同時性」 58年の時を経て
「3月26日質疑応答-文亨進様(日本語訳その2)」から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
キリストのために死ぬ人は自尊心や自分の願望から抜け出て神様の答えを探し求めます。それは自分の命がどのように使われるかということであり、自分の栄光や目的ではなく神様の目的のためです。
彼らはもっと強くなります。なぜなら彼らは反対に会うときも神様のみ旨を追及するために困難や迫害を喜んで受けるというのです。ですからキリストのために死ぬならもっと強くなるのです。
天使長は、あなたはキリストのために死ぬことはできない、それはひどい話だ、自分が大切だと言うのです。愚かな有名人のカルトやメディアのプロパガンダもすべて自分、自分、自分が大切だと言うのです。それはばかげています。人生の中で反対に会うと砕け散ってしまうでしょう。
3月18日の当ブログから引用します。
Jacobさんは「聖霊大学」の下記講座のリーダーをなさっていて、私も参加させて頂いています。
(中略)
今回の亨進様の御言葉によって、御父様の「古い御言葉」も、今日読めば「今日の御父様」であることが分かりました。
改めて講座の価値を感じました。
その講座で、今週勉強する御言葉は、1959年8月9日の「神様の競走場に立った人間」です。
この58年前の御言葉から引用します。
私たちが信念をもつにおいて、それが自分のための信念になってはなりません。民族を中心とした信念、世界のための信念、さらに天と地のための信念をもたなければなりません。
この天地間にある被造万物全体の勝敗が、自分にかかっているという信念をもって走るならば、倒れることがあっても、再び立ち上がって走ることができる余裕が生まれます。
しかし、自分を中心として進んでいては、今までの困難以上の困難にぶつかる時は倒れてしまいます。自分を中心として願った希望以上の困難に巻き込まれるときには、折れてしまうのです。
冒頭の亨進様の御言葉と、大変よく似ていると思いました。
これが、「今日の御父様」の「声」であると感じました。
もう一つ、最新の亨進様の御言葉を、3月29日「王の報告」から引用して終わります。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
その声をアラームだと無視しますがその小さな声に主が望まれ聖霊の役事を通じて私を保護して下さっているという内容で見るようになれば、良心が鳴るとき主に感謝を讃美を捧げるようになるのです。
アラームだと考えれば感謝がありません。
しかしイエス様が聖霊で保護され主が直接送って下さった保護者であることを知るようになれば、私と関係のある聖霊、機械のようなアラームではなく生きておられる主と聖霊が保護し助けて下さっているな、このような内容でなければ神様は生きて働いておられることを見ることが出来なくなるのです。
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