「神様に頼る」 キングズレポートから
最近、私は、上記のように、自分の信仰を見直しました。
今回は、さらに見直しを行うことができました。
上記の「反省」を深めるものでした。
下記の過去記事があります。
「自分の力」でなく「無限界お父様」を「腹」で感じるペンテコステ - 埼玉サンクチュアリ教会(日本サンクチュアリ協会 埼玉教会)
しかし、「人間は忘れやすい」ということです。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
神様に頼る
私たちが弱い時、その方は強いのです。私たちは暴風の中の救助船を掴むように、神様に頼り、神様を掴むと波を突き抜け、波を切っていくことができるのです。
「神様に頼る」ことが足りないことに気づきました。
ボブ・ディラン
私の子供達がゴスペルソングを聴いています。なぜなら、父親がポップ音楽がどれほど馬鹿らしく、どれほど弱く、憂鬱にさせるかを強調したからです。憂鬱にさせます。幻想の中に住まわせます。
私も今はゴスペルソングを聴いています。
しかし、私の場合、たとえボブ・ディランを聴かなくても、もはや私の心にしみ込んでいます。
ボブ・ディランの歌は、むしろ「勇敢」です。
しかし、それゆえに「自己憐憫」でなく「自己崇拝」に陥り、「神様に頼る」ことを忘れてしまうことに気づきました。
聖書
今日のリマはヨブ記26章です。
第26章
26:1そこでヨブは答えて言った、26:2「あなたは力のない者をどれほど助けたかしれない。気力のない腕をどれほど救ったかしれない。
26:3知恵のない者をどれほど教えたかしれない。悟りをどれほど多く示したかしれない。
申命記31章6節では、「あなたがたは強く、かつ勇ましくなければならない。彼らを恐れ、おののいてはならない。あなたの神、主があなたと共に行かれるからである。主は決してあなたを見放さず、またあなたを見捨てられないであろう」とあります。
最近、聖書を読んでいないことに気づきました。
厳父
思春期になると母の感情を操りながら、「お母さん、私、とても疲れたの。 今日は私の番だけど、私の代わりに皿洗いをしてもらえない?」そんな日には「だめよ、これはあなたの責任よ」と言わなければなりません。 けれどもでも、お母さんの感情の紐を操って、「分かったわ、坊や」と子供の痛みを感じるそうです。
この子は自分がやりたくなくても、節制を学んで時間厳守を学び、積むべきだと思いません。
その反面、父は「大丈夫、大丈夫、起きろ」(転んだ時)いい父親ならそうするでしょう。 子供を助け、多すぎるものを与えません。
全ての人が悲劇と試練を経験します。 至極、正常です。 良いお父さんはこのような内容を知って、子供達にすべてをしてあげません。
上記のように、「未熟な母」ではなく「良い父親」として、神様は、私に厳しくすると思っていました。
それも「神様に頼る」ことを忘れる原因でした。
説明
しかし思春期になると、子供たちは父親をもっと必要とします。 "起きろ、起きろ!"と言うことだけでなく、お父さんと会話する時間も必要です。 面白くないですか? お父さんは子供といつも対話はしません。 幼いころは訓練をさせ、子供が成長したら、お父さんの関心が必要です。 特に男の子です。 たくさんの説明が必要です。
そのような面で敏感にならなければなりません。 「父親はタフでも、子どもが内的にどのような状態にあるかを感知できるほど、敏感でなければなりません。 敏感でなければならないし、環境を感じることができなければなりません。
今回、神様は私の「状態」を「感知」して、二代王様を通して「説明」して下さったと思います。
ブログ
でも大変な時期に、会話する人が誰もいないとき、内容が共有できないとき、特に皆さんがリーダーならなおさらですね。 みんなに打ち明けることはできません。 真のお父様も真のお父様の位置はさびしいと言われました。 寂しい道を歩きます。
私はブログで打ち明けています。
これも「神様に頼る」ことを遅らせていたかも知れません。
妻
打ち明ける人がいませんでした。そして完全に一人でした。もちろん子供たちには助けてもらえないし、妻は女性の感情と向き合っているし、女性にとって無視されるという事は最大の恐怖です。女性にとっては死ぬ事と同じなのです。
私の妻は、とても強く、たいていの場合、私は打ち明けることができ、一人ではありません。
これも「神様に頼る」ことを遅らせていたかも知れません。
天一国国歌
世の中の誰も私たちを理解することができませんでした。
全ての人たちが審判し、全ての人たちが何が起こったのか分からず、すべての人々が混乱の中にいました。すべての人が偽の天一国の国歌を歌っていました。私たちはこの世で完全に一人ぼっちでした。
次の関連記事があります。
そこから引用します。
久しぶりに、国歌に関する指摘がありました。
これは、天聖経および家庭盟誓と共に、サンクチュアリ教会の原初的論点です。
これらが「変更」された時、誰もが「あれ?」と感じたはずです。
しかし、「真の母」と「統一教会」を信じました。
他に「選択肢」も無いと思っていました。
しかし、「代身者・相続者」が「沈黙を破って」、「サンクチュアリ教会」という選択肢を下さった時、私の場合は決断まで「3日間」で充分でした。
ですから私は、家庭連合の人達を伝道する方法が分かりませんでした。
しかし今回、「神様に頼る」必要があると分かりました。
小さな内容
そして感謝の内容に集中します。
「私は生きていることに感謝だ。 私は今こんなことを経験しているが、私は生きていて、私は肌があるし、目があることに感謝する」、このような小さな内容から始めます。
サタンが作った環境を変えて、小さな内容から始めます。 「呼吸できるし、鼻があって、目があって、耳があって、指があって、足の指があって」と。そして「誰がこれをくださったの?」あ、そうだ。 その方は神様だ。その方は空で、星で、星がとても美しい。”とただ始めなければなりません。
「神様に頼る」のは、「自分の実績追求」のためではなく、「神様への感謝と賛美」のためだと確認します。
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