「わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。
この神の憐れみ深さこそが、そもそもヨナがニネベへの旅に抵抗した理由なのです。
ヨナ書4:2で彼が言っているように。
4:2 主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。」
次の過去記事があります。
「おまえはもはや足りている。この事については、重ねてわたしに言ってはならない。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
そこでは、マタイによる福音書/ 25章 26節と29節を引用しました。
あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。
すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。
おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
持っていないものとは、「才能」(タラント=タレント)、「現状打破」(中村教会長に教えられました)であると同時に、「神様への信頼」だと感じます。
今回の御言葉に戻ります。
贈り物をくださる神を信じ、贈り物を受け入れ、自分の人生を捧げ、神のために生きる
救いは100%神の恵みによる賜物なのです。
しかし、贈り物をくださる神を信じ、贈り物を受け入れ、自分の人生を捧げ、神のために生きることは、5%によって表されます。