「どこにでも喧嘩をする人はいます。」
李妍雅天一国二代王妃の御言葉
01)2021年4月3日翻訳チームへの御言葉「親は子の伝道師、祈り続ける愛」
真のお父様に帰ろう!サンクチュアリ教会『三代王権天一聖殿』: キングスレポート翻訳チームへの二代王妃様の御言◆ 親は子の伝道師、そして祈り続ける愛◆ 2021年4月3日(土)
から引用します。(翻訳・掲載・出版に感謝申し上げます。)
中道を探す
本当に、どこにでも喧嘩をする人はいます。そうでない人もいます。
2-4.聖殿教会の喧嘩
聖殿教会がこんな風になり、喧嘩をして失望した。私はそのようには考えません。心が痛むことはありますが、私は、それは過程だと思います。私たちが家庭連合から垢を取る過程。牧会者を批判して、私の方がうまく出来るとか、牧会者は、家庭連合の時の権威、地位を考えて、食口を当然のように対応する、この二つがぶつかるのです。これは重要な過程だと考えます。これを通して、牧会者は、食口に対して当然だと思ったらいけないんだ、食口からこんな反応が来るんだな、と学び、食口も教会を運営してみたら、考えていたように簡単なことではないんだ、と学びます。中道を探すんです。
それが嫌だと言う人は新しく自分たちで作れば良いのです。
そして、私の中にもまだ堕落性があることも分かり。色々な事が起こると思います。和解する人もいれば、それが嫌だと言う人は新しく自分たちで作れば良いのです。嫌なのに無理に一緒にする必要はありません。自分で牧会者の立場に立ち、どれ程大変なことか知って。人に対してこんな風にしたらいけないということも学び、ブーメランとして自分に戻ってくるのです。なぜなら、そのときは言いたいことも全部言ってすっきりしたと思うかも知れませんが、いつかは自分にブーメランとして戻ってくるのです。
神様の願われる聖殿を一緒に作ることが一番の目標だったのですか?
あなたの言うことが正しいと人々に認められて相手に勝つことが一番の目標だったのですか?それとも神様の願われる聖殿を一緒に作ることが一番の目標だったのですか?」
と、このように神様が聞かれたとき、堂々と答えられることができますか?それも責任になるのです。自分自身に責任として再び戻ってくるのです。