群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

⑮「忍耐必勝」から 「人の言葉も信じることができず、受け入れないおまえが、神様のみ言を信じたとして、どれほど信じて受け入れるだろうか」

「忍耐必勝」から、御母様の御言葉を引用します。
(翻訳・出版に感謝申し上げます。)


94頁:「人の言葉も信じることができず、受け入れないおまえが、神様のみ言を信じたとして、どれほど信じて受け入れるだろうか」

教会で祈りを捧げたのですが、「人の言葉も信じることができず、受け入れないおまえが、神様のみ言を信じたとして、どれほど信じて受け入れるだろうか」という心の声が聞こえてきました。


「『神様を愛している』と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない」と言われたヨハネの第一の手紙四章二〇節のみ言が思い出されて、悔い改めの祈りを始めました。


「私は人の言葉も信じることができず、受け入れることができない者になりました。私の不信の罪をお赦しください」と悔い改めの祈りをお捧げすると、頭の痛みと胸の苦しさが消えて、心と体がすっきりしました。

これを読みましたので、下記の記事在庫を放出することにしました。


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タイトル:「『わたしたちは、すでに神の言葉を頂いている。 もうこれで十分だから、これ以上の言葉は必要ない』と言う者は、災いである。」


モルモン書から引用します。


わたしは受け入れる者にさらに多く与え、「もう十分である」と言う者からは、彼らが持っているものさえも取り上げる。

「わたしたちは、すでに神の言葉を頂いている。 もうこれで十分だから、これ以上の言葉は必要ない」と言う者は、災いである。 見よ、主なる神はこう言われる。「わたしはここにも少し、そこにも少しと、教えに教え、訓戒に訓戒を加えて、それを人の子らに与えよう。わたしの訓戒を聴き、わたしの勧めに耳を貸す者は、知恵を得るので幸いである。わたしは受け入れる者にさらに多く与え、「もう十分である」と言う者からは、彼らが持っているものさえも取り上げる。

統一原理も受け入れられることを願います。



これ以上の教義

見よ、これがキリストの教義である。キリストが肉にあってあなたがたに御自身を現される時までこれ以上の教義は与えられない。そして、キリストが肉にあってあなたがたに御自身を現される時には、あなたがたはキリストが言われることを行うように努めなければならない。

今は再臨主の教義が与えられました。



もし自分たちが力の限り神の言葉を民に教えなければ、民の罪を自分たちの頭に受ける

そしてわたしたちは、もし自分たちが力の限り神の言葉を民に教えなければ、民の罪を自分たちの頭に受けるという覚悟で責任を受けたので、主に対して自分たちの務めを尊んで大いなるものとした。そしてわたしたちは、民の血がわたしたちの衣にかかることのないように、力の限り働いた。そうしなければ、彼らの血がわたしたちの衣にかかって、わたしたちは終わりの日に染みのない者とは認められないであろう。

モルモン書を持つ人達より、原理講論を持つ私達の責任は、もっと大きいということです。


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私が交流していたモルモン教の人は、「自分が教える」という立場を主張しているのに、去って行きました。
ですから、私は上記の最後の御言葉をぶつけましたが、返事はありません。
「傲慢かつ小心な偽善者」だと思いました。


(サンクチュアリに来た当初、私の面談希望を拒否した、家庭連合の元所属教会の教会長を思い出しました。
「堀さんが考えを変えたら、会いましょう」と言いました。)


関連して、下記を思い出しました。
最近、ある人から、「堀さんも、目立つと、攻撃を受けませんか?」と尋ねられました。
私は、「自分は攻撃されて当然の人間だと思っているから、心配ありません」と答えました。


私は自分を「善」だと思っていません。
ただ「み旨」が「善」だと思っています。
ですから、「構え、撃て、狙え」です。



「私は、神様の前に祈祷して、願うことができることが何か?」

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