「その人と一番親しい間柄になる必要はありませんけどね。」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
1.教会コミュニティーで熱心に働く食口がどんな信仰の罠に嵌まるのか
パウロはこのガラテヤ書3章で神様を心から愛し、神様の法律によく従い、また教会コミュニティーで熱心に働く食口がどんな信仰の罠に嵌まるのかを、よく説明してくれています。
幾ら沢山のことを行い、自分が頑張って教会の法と聖書の法に従ったとしても、結局、人格の主に会って主に迎接され、 主に自分の心情を捧げなければ、その人に救援がないということです。 主への信仰がなければならないということです。
真の愛は神様の心情から来るのです。神様は悪とはまったく関係されません。むしろ審判されます。6000年間、悪を排斥してこられました。私達の責任分担を果たすことによって、この世から悪を無くさなければなりません。
「救援」とは、「悪を無くすこと」だと思います。
「この世」と同時に、「自分」からも「悪を無くすこと」が必要です。
そのため、「神様の心情」に、自分を一致させる必要があります。
今まで、自分から「悪を無くすこと」ができなかった、理由が分かりました。
2.自分が無人島の上に1人で立つ
自分の周りの人との関係を断絶する人の中には、とても独善的な場合が多いのです。
他の言葉では自分は全く悪くなく、自分は人に良くしようとしたのに、むしろ人々が成熟していないために自分を圧迫しているのだとも思います。 未成熟なのですね。 結局、 自分が無人島の上に1人で立つように作り上げたのです。
その人にとっては自分に侮辱を与えたと思われる相手も、神様の権限圏で祝福された人であることを忘れているのです。
だから、天一国憲法で我々が大きな許しの心を持つことがとても重要です。
そのように未成熟な人でも、その人を基本的には排斥しないのです。(その人と一番親しい間柄になる必要はありませんけどね。)
自分が「一匹狼」を好きなことは、過去に書きました。
[「すべての人々を満足させることはできない」 キングズレポートから - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)]
ですから、「無人島の上に1人で立つ」のも、嫌いではありません。
しかし、それは「独善的」で「未成熟」なのかも知れません。
しかし、「未成熟」な人も、「排斥しない」「許しの心」が「重要」。
すると、どちらに対する教訓なのか、少し混乱します。
すなわち、どっちもどっち、でしょうか?
そこで、タイトルの言葉が、両方を慰めると思います。
次の過去記事もあります。
「皆一つの大きな幸せな家族のように暮らしていたという甘美で明るい時代ではなかった」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
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