「信仰の友」 御言葉「体恤信仰の重要性」から
もう一つ、ポイントを思い出しました。
人に接するとき、言葉で表現しなければなりませんが、言葉だけ語っては駄目です。責任を取れない言葉は語ってはいけません。言い換えれば、実行できない言葉は語ってはいけないということです。互いに授受する場で交流し、一つの共同目標を追求していくときは、必ず実践されるものと考え、そのように感じ、そしてそれが事実そのとおりになったというとき、その二人の間には、語って実行したその結果があるので、互いに喜ぶようになるのです。
このようにして結ばれた友人は、同じ霊界に行くまいとしても行かざるをえません。そのようなよい友人を持てば、その友人が高い霊界に行くようになるとき、自分も彼についていくことができます。自分が常にそのような関係を結び、因縁が結ばれたならば、その友人が行った霊界に自分もついていくことができるというのです。なぜならば、彼が私と相対することを何よりも好むようになれば、私の足りないところを補って喜ぶその主体の前に、相対的位置を決定することができるからです。
それで、良い師、良い友人を求めるのです。良い師と親しくし、授受しながら喜ぶことができる基準さえできれば、その師がどんなに立派であっても、その師が占有できる栄光の位置に同参することができるからです。ですから、このような体恤的な環境を発展させていきなさいというのです。
共同目標を追求していくのは、まず「配偶者」だと思います。
霊界は「心情」中心でしょうから、私は自分よりも家内に期待しています。
欲張れば、究極的には御父様や王様です。
それより少しだけ身近なところでは、例えば江利川会長です。
江利川会長のLINEメッセージを引用して終わります。
2020年9月24日 天基11年天暦8月8日
真のお父様のみ言葉です。
「神は二人の中の一人が必要である。
第一は、指導者が呼んで相談できる人であり、
第二は、指導者が命令できる人である。」
(み旨の道 指導者より)
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「私たちが最大限良い牧師にならなければなりません。自分の家庭において。」
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