「先祖の罪について」 キングズレポートなどから
真のお父様に帰ろう!『三代王権サンクチュアリー教会』: 今年、ラスベガスで1000年の名節を開く◆◆ キングスリポート1/ 13, 14(2日分)
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
今日の聖句リマはヨハネ福音書9章です。
ヨハネ9:1 イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。 2 弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。
と、聞きます。
ちなみに、聖書の続きは次です。
(3) イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。
そこで私は、次の過去記事を書きました。
「盲人」の聖句 新約聖書なう - 埼玉サンクチュアリ教会(日本サンクチュアリ協会 埼玉教会)
そして、目が見えるようになった人が、イエス様を証しするのが、9章です。
「罪人」と思われた人が、「証し人」になりました。
それが「神のみわざ」です。
不幸に見えることも、「蕩減」ではなく、「神の計画」なのかと思いました。
しかし、今回、考えを訂正します。
冒頭のキングズレポートの続きから引用します。
これを見ると、本当に興味深いですね。2000年前の人たちも親の罪が子供たちに血統的に下りて行くという原罪に対する概念を知っているという事実も、この句を読みながら発見できるということも、本当に興味深いことです。
今や科学的に明らかになっていることは、一人が何らかの悪い決断をすれば、それがその人の遺伝子を通じて次の世代へ伝授されるということです。
そうすると、上記ヨハネ9章3節の聖句は、どういう意味でしょうか?
イエス様も「嘘」を言うのでしょうか?
[二代王様の「嘘」 英語日曜礼拝などから - 埼玉サンクチュアリ教会(日本サンクチュアリ協会 埼玉教会)]
一つ考えられる理屈は、「本人」でもなく、「両親」でもなく、他の「先祖」の罪かも知れません。
しかし、「細かいことは気にしない」です。
[細かいことは気にしない そして井口さんのこと - 埼玉サンクチュアリ教会(日本サンクチュアリ協会 埼玉教会)]
御父様の御言葉も見つけました。
から引用して終わります。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
自分の先祖がそのような何があったためにそのように生まれたことではないのか?顔がつぶれ、鼻がつぶれてもどの先祖がそのような病身であったので出たのだが、それ自体はそのようにしておかなければその人たちを見てそうでない人たちが誇りそのような人たちは悔い改めそうしなければならないのではないのか?
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