「盲人」の聖句 新約聖書なう
昨日の当ブログからの連想です。
1.アメイジング・グレイス
「盲人」と言えば、まず思い出す歌詞です。
Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.
wretchは、「罪人」というような意味だと思います。
2.家庭連合
次に、聖書で言えば、ヨハネによる福音書9章が、「盲人」について詳しいものです。
先に、9章の末尾です。
ヨハネによる福音書/ 09章 39節~41節
そこでイエスは言われた、「わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」。
そこにイエスと一緒にいたあるパリサイ人たちが、それを聞いてイエスに言った、「それでは、わたしたちも盲人なのでしょうか」。
イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。
代表として、小山田氏を思い浮かべると、しっくりする聖句です。
「先生」と思われた人が、「罪人」になりました。
3.神のみわざ
次に、9章の冒頭です。
ヨハネによる福音書/ 09章 01節~03節
イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。
弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。
イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。
そして、目が見えるようになった人が、イエス様を証しするのが、9章です。
「罪人」と思われた人が、「証し人」になりました。
それが「神のみわざ」です。
他の福音書も連想します。
ルカによる福音書/ 13章 01節~05節
ちょうどその時、ある人々がきて、ピラトがガリラヤ人たちの血を流し、それを彼らの犠牲の血に混ぜたことを、イエスに知らせた。
そこでイエスは答えて言われた、「それらのガリラヤ人が、そのような災難にあったからといって、他のすべてのガリラヤ人以上に罪が深かったと思うのか。
あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。
また、シロアムの塔が倒れたためにおし殺されたあの十八人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか。
あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」。
「罪人」という点では、皆が同じです。
ルカによる福音書/ 04章 25節~27節
よく聞いておきなさい。エリヤの時代に、三年六か月にわたって天が閉じ、イスラエル全土に大ききんがあった際、そこには多くのやもめがいたのに、
エリヤはそのうちのだれにもつかわされないで、ただシドンのサレプタにいるひとりのやもめにだけつかわされた。
また預言者エリシャの時代に、イスラエルには多くの重い皮膚病にかかった多くの人がいたのに、そのうちのひとりもきよめられないで、ただシリヤのナアマンだけがきよめられた」。
この二人も、「罪人」でしたが、「証し人」になりました。
それが「神のみわざ」です。
ヨハネによる福音書/ 06章 29節
イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。
代表として、小山田氏に、教えてあげたい聖句です。
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
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