群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

神様の存在証明12「4つの原力」

(冒頭の蛇足)
内容は各自のご判断ですが、ブログ村のバランス、および、「人間関係」によって、ささやかながら(自主的に)「宣伝」させて頂くことにしました。


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から抜粋翻訳させて頂きます。(Thank you, Jim Stephens!)


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原書80章「4つの原力」から

全大宇宙の中に、間違いなく4種類の力がある、と科学者は言います。

4種類の力とは、(A)重力、(B)電磁力、および原子の内側の2つの力、(C)強い核力、(D)弱い核力です。

それらの力の間の強さには、とてもとても精密な違いがあることに注意して下さい。

そのどれかが、わずかな強さでも変化したら、全宇宙は分解します。


これら4つの力は、どこから、いつ、現れたかと、尋ねてみましょう。

進化論は、役に立つことがあるでしょうか?

絶対にありません。

生命が始まり、DNAを使って、うまく生殖できるまで、進化論が適用できる可能性さえありません。


これら4つの力は、宇宙の始まりの後に、現れたのでしょうか?

いいえ。

ほとんどの科学者は、宇宙の始まりとして、「ビッグ・バン」を受け入れています。

しかし、4つの力無しに、宇宙は存在できません。

それゆえ、4つの力は、宇宙より先に、何も無かった時に、存在していなければなりませんでした。

宇宙が爆発して現れたのと同時に、4つの力が現れた、と言おうとしても、その爆発の前に、どうにかして、4つの力が準備されていた、と結論せざるを得ません。

物質主義の範疇外で、宇宙を超えた、物理法則について語ってきました。

原因として、創造的な設計者が存在することに頼らずに、4つの原力を説明することはできない、と信じます。

万物の本質は、この物質的宇宙の内側にはありません。


神様はいるに違いありません。


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その後、原書101章まで概観しましたが、私の「好み」で、翻訳は以上にさせて頂きます。
7で止まっていたものを、12まで伸ばして下さった成晶さんに、感謝申し上げます。


7までのリンクは下記にあります。

「関係」ゆえに、なるべく頑張りたいと思います。 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)


それ以降のリンクは下記です。

神様の存在証明11「心のエネルギー」


神様の存在証明10「目」


神様の存在証明9「マーフィーの法則」


神様の存在証明8「哺乳と母乳」

「十字架」の定義 「イエス様よりも平安であった」御父様

(冒頭の蛇足)
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「論戦」に関する「落穂拾い」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から自分の言葉を引用します。

正直なところ、この問題について、私は「不勉強」でもあり、「十字架」かどうかは分からない、と言わせて頂きます。

「十字架」の定義にもよる、と思います。

「不勉強」は、下記により、少し改善されました。
それを「十字架」の定義に当てはめるのが、この記事の第一目的です。


中村さんは「戻る期限に間に合った人」です。実は「後から来た人」ではありませんでした。 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から自分の言葉を引用します。

上記は、「聖和の意義と価値」について述べており、下記は、「聖和の日時」について述べています。

上記、御父様の「蕩減復帰の代価」としての自主的な「十字架」と、下記、カイン・アベル「一体化の条件」は、矛盾するものではなく、両者ともに、「復帰摂理の勝利」のためである可能性があります。

2015年6月3日回答2:亨進様及びサンクチュアリ教会本部聖殿宣教本部を引用します。

たとえお母様(韓氏オモニ)がお父様のご聖和後に選択を間違い、サタンと一体になることがあったとしても、カイン・アベルが一体である以上は復帰摂理が同世代において勝利できるのです。


これが勝利条件となって、お父様は3ヵ月後の天暦7月17日をご聖和の日時と定められたのです。

「十字架」の定義が「蕩減復帰の代価」であるとしたら、御父様の聖和には、そのような「意義と価値」がある可能性があります。
「十字架」の定義が「誰かの失敗が日時を決めた聖和」であるとしたら、御父様の聖和は、そうではありません。


いずれの場合でも、カイン・アベルのお陰で、御父様の心情は、イエス様よりも平安であっただろう、と言うのが、この記事の第二目的です。



271~272頁から引用します。

さて、イエスは見悶えさせて祈っていた。

「父よ、わが祈りに耳を傾けてください。そしてどうか、できることでしたれば、この杯を私から過ぎ去らせてください。私は心配なのです。私がいなくなったら、誰が父の願いを背負ってくれるのでしょう

御父様の摂理と二代王様の摂理の「違い」(?)は、最終的に「統一」されるのだと理解しました。

(冒頭の蛇足)
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から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)



数千年、数十年後になる仕事を話しているのだ。

統一教会がその場でぺちゃんこになるのでなく外的にはもっと超えて遠い距離まで平地が広がって行くというのだ。広がって行くというのだ。そのために話すことは今の仕事を話さない。数千年、数十年後になる仕事を話しているのだ。それではその時になれば何か?今やその時になる、その時まで統一教会は滅びない。

8月26日の記事や、9月2日の記事で書いた、御父様の摂理と二代王様の摂理の「違い」(?)は、最終的に「統一」されるのだと理解しました。



霊界の垣根をつくるのだ。

一番高い人を中心に研究してついて行きなさいというのだ。その人が距離が遠くてついて行けないようになればそれほど偉大に知って、我々の先祖たちを通して動員して協力を受けてその人の後を落ちないように道を守って一つの道に出るように、私を他の道に出るようにすれば(その)居所でも保護してほしいと祈祷し、霊界の善なる霊たちが協力してほしいと言いなさいというのだ。


 祈祷もそれだ。霊界の垣根をつくるのだ。霊界の垣根があらねばならないことではないのか?目に見えないサタンが皆さんは知らないが自分の行く道を垣根をつくって道をつくりありとあらゆることをすべてつくって追っているのだ。そのために肉的な目に見える世界の垣根と目に見えない垣根を準備できる人であれば疑うことが出来ない。疑いを持てばだめだというのだ。わかりますか?「はい。」わかるか?「はい!」

「御父様の摂理(後継者の摂理)を疑わずに、ついて行きなさい」という意味だと思います。
9月3日の記事で書いた、「信仰の同志」が、「肉的な目に見える世界の垣根」だと思います。
私のような人間は、「他の道に出る」ことが多くても、「保護」してくれる「先祖たち」に感謝します。(偶像崇拝はしません。)



わざと迫害されに訪ねて行くのだ

個人の中心が家庭と連結され、家庭の中心が氏族と連結され、大きなものと連結されるのだ。根は一つであるが次第に大きくなってこのようにこうして上がって行ってサタン世界のここに出てここに対してサーっとこのようにして切ってしまうのだ。そのようなことをすべて知らないだろう?だからわざと意見を受けに、わざと迫害されに訪ねて行くのだ。そのためにそのようなものを開拓することがわかる。

9月3日の記事で書いた、「真の父母を思慕」と共に、「伝道」の心得だと思います。