群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

2月10日「聖霊の役事」の体験

聖霊の役事「自分の課題は何か?」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

この記事の結びは次でした。

最も大切なことは何か、これらの御言葉と共に、考えています。

「何を祈祷して欲しいか」、二代王様から尋ねられる可能性に備えて考えていました。
実際、2月10日に、二代王様は、最初の一人、韓国の女性に尋ねられました。
その女性は、涙ぐみ、すぐには答えられなかったようでした。
その後、二代王様は個別に尋ねることを止め、全体のために祈られました。
そこで私も、自分の「課題」を離れ、「神様を崇める」ことに集中しました。


「按手」を待って、立っている間、浮かんできたのは、御父様の笑顔でした。
御父様の「愛」を感じて、感動しました。
(それは、今回、売店で購入した御写真の笑顔のようでした。)


やがて、「按手」によって、後ろに倒れました。


その後、二人の「若者」が、両肩に「按手」して下さいました。
それによって、御父様だけでなく、イエス様のことも思い出しました。
(ユーチューブでゴスペルを聴いた時の、映像が浮かびました。)


そのうち、御二人は、ともに「神様の実体」であることを考えました。
御二人を統一するイメージとして、黙示録19章の「白い馬に乗っているかた」が浮かびました。
その力強い「将軍」のイメージは、やがて二代王様の御顔に変わりました。


同時に、「将軍」の前に、自分は「宦官」になるべきか、という思いが湧きました。
ちょうど、倒れて横になっているために、「王冠」が脱げ落ちそうになっていました。
そこで、「王冠」を許された意味は何か、とも考えました。
結局、「王冠」は最後まで脱げ落ちませんでした。


帰国してから、次を読みました。
英語および同時通訳は、一度聞いていますが、詳しく確認できました。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

神のみ前に出て、祈りを受け入れてくださるように願うなら、イサク(アブラハムのことか)のような心を持たなければなりません。息子を捧げたくはないがそれでも祭壇に向かう。そういう時に(神様の)御手が差し伸べられるのです。死の直前の一瞬、そうなるというのです。これは興味深いところです。


あなたが神の祭壇に向かって進んでいくとき、そこで命を惜しまず、命をも捧げようとするとき・・・ちょうどキリストが言ったように「死なんとするものが生きる」ということです。だから祈祷を受けようと思ってやってくるとき、ある具体的な目的のために按手するというよりも、旧約聖書にあるように、死の直前の瞬間であることが必要になる、興味深い話ではないですか。そう、まさに死のうとするその直前です。


新約聖書ではキリストは、(古い)自分は死んで、私によって新しく生まれなさい、といわれています。それは自分自身を手放すということです、われわれの願望も意志も含めて。そうして神様の主管を願う。私たちの人生を委ねるということです。すべて祭壇の上に載せるということです。それが心構えであり、霊的決意であり、魂の姿勢、それによって御手が臨むのです。御手による救い(按手)は神様の霊の内にあるとても力強い賜物です。


役事の「結果」は、今後を見なければ分かりません。
いずれにしても、「人生を委ねるということ」だと分かりました。



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