から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
9月3日、エルダー本部長のリマです。
◆今日のリマを見ます。 エレミヤ哀歌1章12節です。
1:12「すべて道行く人よ、
あなたがたはなんとも思わないのか。
主がその激しい怒りの日にわたしを悩まして、
わたしにくだされた苦しみのような苦しみが、
また世にあるだろうか、尋ねて見よ。
1:13主は上から火を送り、
それをわが骨にくだし、
網を張ってわが足を捕え、
わたしを引き返させ、
ひねもす心わびしく、かつ病み衰えさせられた。
1:14わたしのとがは、つかねられて、
一つのくびきとせられ、
主のみ手により固く締められて、
わたしの首におかれ、
わたしの力を衰えさせられた。
主はわたしを、立ちむかい得ざる者の手に渡された。
9月4日、パンザー会長のリマです。
お父様の御言 み旨の道から:
あなたは信仰生活の中で多くの試練を経験して、勝利をおさめ、岩を築きます。それは天が信頼することができます。
「とても痛ましい状況を通して、光をもたらされます。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から、自分の言葉を引用します。
「役職」に影響する「失敗」は無くても、自分で後悔する「失敗」はたくさんあります。
(ニッキーさんと同じく、「被害者」になっても、自分を責めます。)
ですから、こういう御言葉が好きです。
王妃様と神様の「関係」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した、王妃様の御言葉を、なぜかしら思い出しました。
『自分の体を焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、一切は無益である。』(コリント第一13:3)
自分の体を焼かれても、ですから殉教ですね、火刑に処されるという、殉教することになったとしても、私の中に愛がなければそれは無意味なのだと、言われたのですが、私は神様を本当に愛している人間なのか、それとも私の安全と私の生命がより重要な人間なのか。そういった信仰の本質を、今非常に政治的に不安な状況において、それと向き合うようにされながら見させられるということを、このごろよく考えさせられています。