群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「私は神様を本当に愛している人間なのか、それとも私の安全と私の生命がより重要な人間なのか。」


から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


9月3日、エルダー本部長のリマです。

◆今日のリマを見ます。 エレミヤ哀歌1章12節です。


1:12「すべて道行く人よ、

あなたがたはなんとも思わないのか。

主がその激しい怒りの日にわたしを悩まして、

わたしにくだされた苦しみのような苦しみが、

また世にあるだろうか、尋ねて見よ。

1:13主は上から火を送り、

それをわが骨にくだし、

網を張ってわが足を捕え、

わたしを引き返させ、

ひねもす心わびしく、かつ病み衰えさせられた。

1:14わたしのとがは、つかねられて、

一つのくびきとせられ

主のみ手により固く締められて、

わたしの首におかれ、

わたしの力を衰えさせられた。

主はわたしを、立ちむかい得ざる者の手に渡された。


9月4日、パンザー会長のリマです。

お父様の御言 み旨の道から:

あなたは信仰生活の中で多くの試練を経験して、勝利をおさめ、岩を築きます。それは天が信頼することができます。


「とても痛ましい状況を通して、光をもたらされます。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から、自分の言葉を引用します。

「役職」に影響する「失敗」は無くても、自分で後悔する「失敗」はたくさんあります。

(ニッキーさんと同じく、「被害者」になっても、自分を責めます。

ですから、こういう御言葉が好きです。


王妃様と神様の「関係」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した、王妃様の御言葉を、なぜかしら思い出しました。

自分の体を焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、一切は無益である。』(コリント第一13:3) 

自分の体を焼かれても、ですから殉教ですね、火刑に処されるという、殉教することになったとしても、私の中に愛がなければそれは無意味なのだと、言われたのですが、私は神様を本当に愛している人間なのか、それとも私の安全と私の生命がより重要な人間なのか。そういった信仰の本質を、今非常に政治的に不安な状況において、それと向き合うようにされながら見させられるということを、このごろよく考えさせられています。

「その期間が長いほど悪いのではありません。」


から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

聖書はペテロの第二の手紙から:

3:9ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。



から、御父様の御言葉を引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

古くから聖人たち、あるいは善良な人々がサタン世界に現れては、常に主権者の前で血を流しました。殺されたのです。犠牲になったのです。


孔子のような方も喪家之狗(そうけのいぬ:放浪者)という言葉を聞き、イエスのような方はローマ国の逆賊として追い込まれて死んだのではないですか?しかし、彼らが歴史を通じて、長い期間を通じてどのようにして世界を制覇したかというのです。


その期間が長いほど悪いのではありません。何千年待てば待つほど、打たれて奪う時には、銀行に預金しておいたお金と同じように元金が利子を生んで生んで大きくなるのです。そのようにして世界のすべてを訪ねて来るまで待つのが天の作戦だというのです。

もちろん、「摂理を短縮する」ことも大切だと思います。
御父様の御言葉は、両面があると思います。



から、まず自分の言葉を引用します。

私は、他人のことでも、自分のことでも、「性急」な性格です。

次に、そこで引用した、二代王様の御言葉を再掲します。
私のような人間の、心に沁みる御言葉です。

神様は わざと私たちの弱いところを開かれようとします。私たちは現代社会に生きているので、ちょっと何か不便なことがあれば、そこから早く避けたいし、他のところで行きたいと思います。そうでしょう。 Ipodがちょっと不便だとあ~これはだめだだめ。カカオトークもちょっと遅いとあ~ダメダメ。そうでしょう?早く早く早くと。あ~このプログラムは面白くない、他のもの、あ~これも面白くない。他のもの、他のもの、こんなぐあいです。


神様が私たちの弱点を見せてくださる時に、私たちは魂の苦悩があったときに、あ~いやだ。早く過ぎ去ろう。早く解決しようとするでしょう。

しかし、その瞬間にも神様はわざと私たちの弱点をあからさまにされようとするのです。私たちはそこで待たないといけません。とどまっていないといけません。

その弱点を見ないといけません。その弱点を見れば、神様が私たちに啓示を下さる時間になるかもしれません。啓示、感動、信仰の賜物、知恵を下さる時間。

神様の願われる意思を悟れる信仰の賜物を受け取れることでしょう。

「その環境で生き残らなければならない。環境で倒れれば終わりを見る。」


から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


肉身の限界を感じる歳

皆様ありがとうございます。本来御言を読むときは立って読まなければならないのですが、私たちは肉身の限界を感じる歳なので、後ろにある机に座って読むことを了承ください。では、机に移動します。



から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


環境に合わせながら自分の体のコンデイションを調整しなければならない。

 (くしゃみをされる)先生は温度が1度だけ差異があってもくしゃみをする。それを知る人がおれば熱いハンカチを持って来てコントロールしてあげなければならない。いくらしても知らない人は何・・・。オモニもここにいるのでそれをできないということだ。自分の欠点は自分が調整しなければならない。


 今回先生がデウオンジョン(대원정)の道を全部すべて過ごしてきたが、それが一度にすべて走ろうと考えればだめだ。息を継ぐように熱心にするのだ。熱心にして汗を流すようにしたとすればどのようにするのか?継続して汗を三日流せば風邪にかかる。間違いありません。そのためにそのような時は時間を遅らせて行きながらするのだ。気候が暑い時と冷たい時、日が沈む前と日が沈んだ後が差異がある。それも合わさなければならない。環境に合わせながら自分の体のコンデイションを調整しなければならない。一方道路すべてしては事故が生じる。その影響がどうかということを見るのだ。


 そのために先生がすでにアメリカで12か所、韓国で12か所をしながら時間も・・・。時間が多くかからない。1時間20分であればすべて終わるのだが、2時間3時間、ある時は30分をもっとしてみなさい。そうしておけばこの体の比準がとらえられない。それを越えればだめだ。そのような時は後退しなければならない。体を運動で解くとか調整しながらこのことを経て行かなければならないと見る。ついてくる人たちは知らない。いつでもともにすると考える。先生がみさかいもなく一方に降り注ぐと考えるな。今まで一生涯自分の体をコントロールして出たのだ。監獄でもそうだ。興南監獄でも3年間過ごす中で、人々はすべて死ぬ中で一人生きて若い人たちが多く死ぬ人を生かしてあげたのだ。だから経験だ。行くそこで、その環境で生き残らなければならない。環境で倒れれば終わりを見る。


 86歳になったおじいさんが今現在杖をついて通わなければならないし、人がいなければ横に行くが、このように行って溝があることを知りながらも行くのだ。めまいの病が出ればそうだ。溝があるにもこちらに行くと言ったがこちらに行ってしまう。そのようなことをコントロールしなければならない。


「人事措置だ。歳が多い人は若い人として、50代以内に!」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した自分の言葉を再掲します。

話の流れで、恥ずかしながら例をあげると、訪米のトランプ応援中に、「勝手な行動をしている」と思われていたと最近知りました。

「体の悪い人は、別に精誠を捧げても良い」と言われたのを条件に、確かに楽をし過ぎたかと思います。

玉木円四郎さんのコメントに感謝しながら、井田講師の説教のネタバレ - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から自分の言葉を引用します。

昨日は「雨天のため」、高崎駅前街宣の中止を、「準備担当者」として決断させて頂きました。

精誠を重視する「食口らしさ」が無いかも知れませんが、「私らしさ」のご参考です。


「後から来た」康賢實御母様 ~ 「昨年の大切な御言葉」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から森さんの言葉を引用します。

私の言うことが理解できないかもしれませんが 康オモニを堕落人間と比較してはいけません。


御父様との年齢差を考えても、考えなくても、森さんからクレームが来そうですが、「言論の自由」を信じています。