②「忍耐必勝」から 「イエス様を信じる目的は何ですか? 主に出会って救いを受けることではないでしょうか?」
「忍耐必勝」から、御母様の御言葉を引用します。
(翻訳・出版に感謝申し上げます。)
111頁
「勧士様、イエス様を信じる目的は何ですか? 主に出会って救いを受けることではないでしょうか? その主がいつ、どのように、どこに来られるか、一緒に一度祈ってみましょう」と言いました。
99頁
そのときの環境を見れば、とても信じることができませんでした。部屋は二畳の広さにもならず、雨漏りする土窟のようなところで礼拝し、礼拝の人数も二、三人だけなので、信じるのが大変でした。み言は途方もなく高い次元の内容で、 聞いたときはうなずけますが、少したつと疑心が生じるのです。
343頁
今日の教会と信徒たちは、神秘的なイエスを求めているので、教会の牧師や伝道師たちは神秘的なイエス様を伝えています。キリスト精神の本質はすべて失われ、形式と制度にばかり夢中になっているので、神様の摂理の方向に耳を傾けることはとても難しいことです。このような教会に再臨主が来られれば、再び苦難を受けざるを得ません。
96頁
「あの方が再臨主ですか? 再臨主は雲に乗ってこられると言われています。雲にも乗らずにこられたのに、再臨主だと言われるのですか?」。
「私は神様から啓示を受けました。神様が愛される方であり、世界的に大きなことをなさる方だと啓示を受けて先生と出会ったのです」。
341頁
そして、お父様は、「今、太陽を東側から西側まですべて見ることができるように、世界のあらゆる人々が真の父母を見るときが来る。世界のあらゆる人々が真の父母様を待ち望み、訪ね求めるときが必ず来る」と言われました。
御母様がクリスチャンでしたので、「クリスチャン伝道」について、大変参考になります。
その後、英語の聖書を準備すれば何とかなると思いました。 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から引用します。
8.ルカによる福音書17章20~25節
再臨のイエスが空から来たら、神の国が見えないはずはない。
苦しみを受け、捨てられるはずはない。
ルカによる福音書/ 17章 20~25節
神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
それから弟子たちに言われた、「あなたがたは、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう。
人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな。
いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。
しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。
「偽メシヤ」には注意しなければなりません。
しかし、「いなずま」は、誰にでも分かる「原理講論」の啓示かも知れませんし、世界的な「メシヤ宣言」かも知れません。