「伝道」できない反省
一昨日の当ブログで引用した、自分の文章を再掲します。
家庭連合の人達からの反応として、興味深いのは、「もう連絡しないで」と言う人がいることです。
信じないのは自由ですが、相手の「伝道」を止めようとすることは、「伝道師」あるいは「宗教家」としての「自己否定」だと思わないでしょうか?
とは言え、「もう連絡しないで」と言われるまでもなく、何度も連絡したくない、自分の「本音」を反省します。
8月11日の当ブログ、「『伝道』『信仰』 マルコによる福音書なう」から引用します。
マルコによる福音書/ 06章 34節
「イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。 」
伝道者には、「あわれむ心」が必要です。
「あわれむ心」が足りないことを反省します。
8月19日の当ブログ、「悪人と善人の間」で引用した、御父様の御言葉を再掲します。
八字(パルジャ팔자,訳注; 各自が持って生まれた一生の運、運命)を知るようになっている。ここも右手の親指が上がる人は宗教的な人ではない。自分がそうか、そうでないかしてみなさい。我々のような人もここ左手が上がる。
「宗教性」が足りないことを反省します。
2016年11月6日の当ブログで引用した、史吉子氏の書籍「原理に関するみ言の証」から再掲します。
もし伝道の対象者の先祖の(平均点数の)功労(70%)が、自分の先祖の功労(50%)より高い場合、その子孫には行くなと引き留めるそうです。
なぜなら、功労の差があるためです。
この人が入教するためには、先祖の功労を分けて(70%-10%=60%)、こちらにあげなければなりません(50%+10%=60%)。
借りを返さなければならないからです。
また功労を分けてあげれば、下がらなければなりません。
ところが下がるのが嫌なのです。
(中略)
私の先祖の功労がその人の先祖の功労より足りないと感じる時は、
(中略)
精誠を尽くして上に上がって行けば(50%+30%=80%)、その時は返す必要がないそうです。
こちらの方がより高くなったためです。
その時は行かせてくれるのです。
「先祖の功労」と「精誠」が足りないことを反省します。
2016年11月20日の当ブログで引用した、同じく史吉子氏の「証」を再掲します。
伝道がよくできる秘訣は、伝道対象者の名前を何度も呼ぶことです。
「キムヨンジャ! キムヨンジャ! キムヨンジャ!」のようにです。
名前を呼べば、その人の霊人体が私に引かれてくるようになり、逃げられなくなるそうです。
名前をずっと呼び続けると、その人が私に会いたい、私に電話したいと思うようになり、私を恋しく思うようになるそうです。
このように恋しくて、その人の方から私を訪ねて来るようになるのです。
草創期にお父様は、私たちの名前を熱心に呼ばれたそうです。
家内の名前を呼んでいるだけではいけない、と反省します。
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
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