「御旨の道」から 家庭連合を審判する
1月18日「王の報告」で、姜先生が書籍「御旨の道」を賛美されましたので、読み直すことにしました。
最初の項目「み旨」から引用します。
「怨讐を愛せよ」という言葉は、怨讐の中にある罪まで、あるいは悪まで許せということではない。
悪に取りつかれているその人を、かわいそうに思えということである。
(43頁)
善悪をあいまいにする「価値相対主義」を批判する、亨進様の説教と同じです。
我々は、善のための代弁者となって、悪に対しては審判者にならなければならない、歴史的岐路に立っている。
(44頁)
「サンクチュアリ教会は、裁いてばかりいる」という批判は、止めるべきです。
事実がそうでないのに、事実のように現れるのが悪である。
私的に動く者、世界を自分の思いどおりにしようとする者は、必ず滅びる。
(41頁)
どこにでもいる「略奪者」への審判です。
神様は、一時と、一人の方と、一つの仕事のために、六千年間み業をなしてこられた。
ゆえに、この一人の方がなさる仕事と一時を裏切る者は、六千年を裏切る者であり、反対に忠誠をもって迎える者は、六千年の不変の忠臣として認定される。
忠臣は、六千年の恵沢を一身に浴びるであろうし、裏切り者は、累積された罰を一身に受けるのである。
(17頁)
「一人の方」です。
この御言葉を読んで、「裏切る者」には、井口氏が澤田教会長に対して口にした言葉を、お返しするのがふさわしいと思います。
「いい度胸してるよ」
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
任命式の映像はこちら