中村さんは「戻る期限に間に合った人」です。実は「後から来た人」ではありませんでした。
「後から来た」康賢實御母様 ~ 「昨年の大切な御言葉」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
の「リアルタイム追加」から引用します。
中村さんは、私から、ある人を経て、聖酒をお渡ししました。
「ある人」に確認するのが遅れて、この記事も遅くなりました。
中村さんは「戻る期限に間に合った人」です。
実は「後から来た人」ではありませんでした。
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(長い蛇足)
私は、「神学」の興味があまりありません。
ですから、中村さんと菅井さんの両方とも、「議論」を良く把握していません。
ただ「国語」と「論理」を使って、以下についてだけ述べさせて頂きます。
から引用します。
99頁
したがって、イエス様のときと同じように、真の母と祝福家庭が責任を果たせず、新婦を失われた文鮮明先生は、その蕩減復帰の代価として、 ご自身の肉身を捧げられたということになります。
私は「抜粋」しませんでしたが、原書では、この後に次が続きます。
以上のように、文鮮明師の聖和は現代の十字架であり、真の母と祝福家庭たちの不信によって生じたことだったのです。
上記は、「聖和の意義と価値」について述べており、下記は、「聖和の日時」について述べています。
上記、御父様の「蕩減復帰の代価」としての自主的な「十字架」と、下記、カイン・アベル「一体化の条件」は、矛盾するものではなく、両者ともに、「復帰摂理の勝利」のためである可能性があります。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
↓↓ 2015年6月3日回答2:亨進様及びサンクチュアリ教会本部聖殿宣教本部 ↓↓
天基3年天暦7月17日(陽2012年9月3日)午前1時54分のお父様のご聖和時期が、果たして神様が本来願われた日時だったのか、
それとも特定の人物、或いは不特定多数の人の失敗の結果として現実となった日時だったのかの問題について亨進様の見解をお伺いしました。
結論から申し上げますと、それは前者が正しいとのことでした。
たとえお母様(韓氏オモニ)がお父様のご聖和後に選択を間違い、サタンと一体になることがあったとしても、カイン・アベルが一体である以上は復帰摂理が同世代において勝利できるのです。
これが勝利条件となって、お父様は3ヵ月後の天暦7月17日をご聖和の日時と定められたのです。