「神はいつも、歴史において世界全体を変えるために少数の人々を用いる」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
神の裁きは清めとなりますが、それは痛みを伴うのです。
何かがやって来る。洪水、地獄の嵐、雷雨の大洪水のように、何かが彼らの上に押し寄せる。何かがやって来るのです。やって来るもの、それは何か?審判だ。審判、この場合の審判とは何か?汚されることなのか、清められることなのか。審判は神の愛だということを理解してください。それは、人々があまりにも汚れてしまったからだ。皆さん、何の話か分かりますか?神の裁きは清めとなりますが、それは痛みを伴うのです。とても痛い。痛みを伴います。しかし、それは清めなのです。
神はいつも、歴史において世界全体を変えるために少数の人々を用いる
彼はレムナント(残存者)を保護するつもりだ。それは完全に一掃されることはない。皆さん、何の話か分かりますか?裁きは通過するので、死の契約によって、すべての人が一掃されるわけではないのです。すべての人が一掃されるわけではない。レムナント(残存者)が存在し、私たちは歴史の摂理において、神はいつも、歴史において世界全体を変えるために少数の人々を用いることを知っています。復帰歴史において、神が用いるのはいつも小さなレムナント(残存者)、小さなグループなのです。なぜなら、忠実なのはたいていは、小さなグループだからです。アーメン。(救いの)狭き門は狭き道であり、広き門は地獄への門なのです。皆さん、何の話か分かりますか?
次の過去記事があります。
「なぜ神様がそれを許されたのかを忘れてはいけない。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
江利川会長が、最近啓示を受けられた聖句を思い出します。
創世記/ 18章 23~26節
アブラハムは近寄って言った、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。
たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。
正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。
主は言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。