群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「私はとても嬉しい人になりました。」

真のお父様に帰ろう!サンクチュアリ教会『三代王権天一聖殿』: 韓国青年たち50、冬の修練集会質疑応答 ◆ 天一国妍雅二代王妃◆ 2023年2月24~26日 華陽韓国青年修練会

(質問者Dの部分)から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

だから、自分を一度覗いてみてください。どこからその悲しみが来るのか。深い悲しみは普通、自分を表現することができず、誰も自分を分かってくれる人がいないから、結局、私は実は神様を心から愛するようになり...。


私は本当に神様を憎んでいました。 私は神様に神性冒涜をした人でした。 でも、本当に.....。


ここで泣いたらみんな帰るでしょ? 泣いてはいけません。男は泣くのが大嫌いです。 大嫌いです。 それで、


私は本当に神様を愛するようになり、その深い悲しみがなくなりました。 私はとても嬉しい人になりました。


主イエスの十字架の血で


「私たちはただ、このようなことに巻き込まれただけなのです。(笑)」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した御言葉を(見出し=ポイントを変えて)再掲します。


ただ単純に、彼を愛すればいいのです。

私も自分で選んだわけではありません。あの子も自分で選んだわけではないのです。私たちはただ、このようなことに巻き込まれただけなのです。(笑)そして、神もおられる。だから、私は逃げることも、隠れることもできないのです。だから、だから、私たちはただ、お父様が知っていることをやるしかなかったのです。お父様が私たちを選んでくれたこと、それはお父様を裏切らないことです。そして、お父様を愛すること。それは簡単なことです。ただ単純に、彼を愛すればいいのです。彼を愛し、ただ彼を愛し、ただ彼を愛の中心に置く。それだけでいいのです。


「二人の方ではない。一方であられるヤンバン(両班)の宗教だ。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

で引用した御言葉を再掲します。

生活が何かと言えば栄光を返すことだ。感謝して栄光を返し、世界のために私が授受できるのだ。

 生活が何かと言えば栄光を返すことだ。感謝して栄光を返し、世界のために私が授受できるのだ。それを永遠に継続するそこが神様の本故郷、我々の祖国、天の国の祖国、根本が永遠な我々の祖国の基地なのだ。


⑫原理原本から「原理目的が未完成の人間は自然と原理的拘束を受けて不安というものが始まり、それが継続する」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した御言葉を再掲します。


基本の中心である「一」と連関する使命を完成しなければならないと同時に、自我完成の使命を完成してこそ、天宙に対する自己自我の価値ある位置を求めることができる

したがって、基本存在の対象位置で作用するように造られた存在が、目的を取り戻してその価値を復帰した世界が本然の理想世界である。ゆえに各自なら各自自体、または存在物なら存在物自体も、その全体が基本の中心である「一」と連関する使命を完成しなければならないと同時に、自我完成の使命を完成してこそ、天宙に対する自己自我の価値ある位置を求めることができるのである。


「使命」を難しく考えた結果は、下記です。

「自分の一族に強制で殴ってでも食べさせて教育しなさい」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)


しかし、「順序」を考えさせられたのは、下記です。
昨日の記事では、「神様との心情関係」を「レベル」の問題として、まだ客観的に考えていました。
今回やっと、根本的で単純な「使命」として、最優先事項であることを悟りました。

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4月2日、ラインのリマを引用します。
(毎日の配信に感謝申し上げます。)

神様は被造物のうち「喜びの対象」として人間を求める。

その中でも、絶対者と共に関係を結べる人、絶対者と共に授受できる人、絶対者と共に生きられる人、絶対者を絶対的に慕える人、絶対者を絶対的に愛せる人を求める。

人間もまた、そのような立場に立ってこそ、本当の意味で満足できる。

1971.1.15


神様が喜ぶときに共に喜ぶことができ、神様が悲しむときに共に悲しむことのできる素性を持たなければならない。

そのように神様の内情を体得し、神様の内情を体験できる人にならなければ、神様がどんなに人間を愛していようとも、神様はその人と同化することができない。   1971.1.9


 伝道復興委員会文責


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