⑦原理原本から「もしそのときイエスをメシアとして侍っていた者がいれば、彼は天で最も大きな賞を受ける存在であることは間違いないであろう。」
原理原本208~209頁から引用します。
その荒野の寂寞さは、イエスに大きな落胆と同時に、もう一度再出発する路程を決心させる路程と言わざるを得ない。
荒野でのイエスの孤独な心中をくみとって同情する者は、世上に果たして何人いただろうか。ここで人間と相対するイエスの使命範囲が、一つの暗澹とした路程に逢着したことを誰が知っているかというと、知る者は父とイエスだけであった。
その荒野の寂寞さは、イエスに大きな落胆と同時に、もう一度再出発する路程を決心させる路程と言わざるを得ない。荒野にまでイエスに仕えて従ってきた者は一人もいなかった。もしそのときイエスをメシアとして侍っていた者がいれば、彼は天で最も大きな賞を受ける存在であることは間違いないであろう。
二代王様と監察総監様の御家庭、そして初期のペンシルベニアの食口達のことを、考えさせられます。
英語礼拝(3)〔2023年2月26日〕 | kijoksoriのブログ
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
神と国進様、そして彼の家族と私の家族は、まず荒野路程に出たのです。荒野でクマや鹿と一緒に、スズメ、月と太陽と一緒に、神の王国の国歌を歌ったのです。それが私たちのすべてだったのです。人間のコミュニティはありませんでした。
お父様が油を注がれたカインとアベルは、カインがアベルを守ったのですが、これは歴史上一度もなかったことです。だから、私は兄に、国進兄さんに大きなエールを送りたいのです。彼がいかに神を愛し、お父様を愛しているかを。