「私が本当なのか嘘なのかわかります。」
から引用します。
堕落を知らない限り良心は罪を知らない。
堕落が分かるか?堕落を知らない限り良心は罪を知らない。そう、罪を犯しながら楽に生きる。我々のような人は言葉を一言すれば3年、5年まで悔い改めなければならない。良心がそのように恐ろしいのです。
このことから、たとえば、「堕落と罪を知った良心=本心」と考えることもできます。
(冒頭に持ってきた「蛇足」です。)
私が本当なのか嘘なのかわかります。
(『天聖経』 ‘人間の生と霊魂の世界’ 編 ‘第2章 霊界はどのような所か 4)先祖たちと我々’から訓読)
『・・・・・・神様よりも自分が自分自身をよくわかります。そのために我々には審判主が必要ありません。神様が事実必要ないと言うのです。自分の良心がよくわかります。このような原則を持って参席したのかと言う事実が%で出てくるのです。私が本当なのか嘘なのかわかります。知らない、わかる?知らなければ可能性がありません。知らなければそれは共同墓地に行かなければなりません。そうでなけれゴミ箱に入るとか、そうでなければノーカレ(너까래)として太平洋に押し入れるとかしなければなりません。それは処置がむつかしいのです。
皆様は善なるものと悪なるものが分かります。言葉を一言しても私が悪いことを知ると言うのです。見る視線も悪いものを知って、聞くこの音声も、感じるこの触覚もすべて知っているのです。』
良心はすべてわかる、良心は。神様も良心があってその良心を中心に育って出て来たのだ、神様も。
このことから、下記を考えさせられます。
(最近の中心的なテーマです。)
「全てを認めて受け入れるならば、主はあなたの行く道を整えてくださいます。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)