群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「血と肉を絞り出して、神様の骨身に染みた心情の恨を解怨すべき責任がある。」

(材料の御言葉が不足気味です。)


ラインから引用させて頂きます。(毎日の投稿に感謝申し上げます。)

【天宙清平鐵杖王國億萬歳】

 

2022年2月3日(木)      

天基13年天暦1月3日


【第2次7年路程を越える為の40日精誠祈祷】

「第41次40日祈祷」

 (1/8〜2/16)


【今日の、み言】

「天地の大道、心情の解怨」

                    

罪を犯したことは心配しなくてもよい。それは小枝にすぎない。

心情的な問題さえ解決すれば、心配する必要はない。

それゆえ、堕落した我々人間には、血と肉を絞り出して、神様の骨身に染みた心情の恨を解怨すべき責任がある。

これが摂理の中で最も重要なことである。

     1960.11.6        


伝道復興委員会文責


サンクチュアリの人数では絶対足りず、やはり「キリスト教」が必要です。 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から引用します。

父母の心情をもって地獄にいる子女を救い出す責任を果たす

この「心情」が課題です。


下記記事のタイトル・御言葉も似ています。

「神様の愛をこの地上の人たちに伝授してあげる」

そこから、自分の言葉を引用します。

神様は負けないので、手足となって戦う。

「心情の戦い」だと思っていました。
その心構えとして、下記を書きました。

神様の絶対愛絶対信仰して、神様に絶対服従する。

それに関連して、記事発表日の午前10時前に削除した自分の文章を、改行・スペース挿入・太字強調しながら再掲します。
(最後の一文を、後から追加しようとした時、逆に全部を削除しました。)

(余談ですが、


絶対信仰 は 信義・血統転換・ 良心革命

絶対服従 は 行義・所有権転換・蕩減革命

絶対愛  は 侍義・心情転換・ 心情革命


に近いかも知れないと考えました。


いずれにしても、 絶対愛 が一番難しいと思います。

神様の根本属性は、絶対愛・唯一愛・永遠愛・不変愛だと理解しています。

絶対愛ができれば、まさに「神様の代身」だと思います。

夫婦間だけでも 「絶対性」を守るのが、象徴的条件かも知れません。)

これを書いた時、神様でなく、主に他者への「真の愛」について考えて、「難しい」と思っていました。
「心情」でなく、「信条」に基づく、うわべの「行い」は、「易しい」からです。


しかし、冒頭のラインの御言葉を読みながら、「行いを変えること」の重要性を考えさせられました。
それが「神様の心情に影響する」と理解しました。
それゆえ上記を削除しました。


そもそも、他者でなく神様に対して、「愛する」のは「易しい」と思います。
それでも「罪を犯すこと」があり、「血と肉を絞り出すこと」ができません。
やはり単純に考えます。

手足となって戦う。

神様に絶対服従する。


****


上記を書き終わった後で、下記を読みました。
ラインから引用させて頂きます。(毎日の投稿に感謝申し上げます。)

【天宙清平鐵杖王國億萬歳】

 

2022年2月4日(金)      

天基13年天暦1月4日


【第2次7年路程を越える為の40日精誠祈祷】

「第41次40日祈祷」

 (1/8〜2/16)


【今日の、み言】

「天地の大道、心情の解怨」

                   

神様の心情を慰労してさしあげなければならない。

慰労するためには解怨しなければならない。

解怨するためには恨の根本を解き明かして、「ついに私の恨が解けたなあ」と、神様に安息していただかなければならない。

では、その恨を解いて、神様に喜んでいただける贈り物とはいったい何か。

それはまさしく心情である。

     1987.5.10        


伝道復興委員会文責 

「行いを変えること」ではなかったのかも知れません。
「血と肉を絞り出すこと」とは、「心情」のことだったのかも知れません。


他者でなく神様に対して、「愛する」のは「易しい」、と書きました。
その程度で良いのかどうか、分かりません。
しかし、いずれにしても、御父様の御言葉のお陰で、そうなりました。

×

非ログインユーザーとして返信する