「霊的準備」 死を覚悟する
昨日の当ブログの続きです。
天聖経562ページから引用します。
皆さんは、できるだけ1年以内に死ぬものと思いなさいというのです。
この短い時間にみな準備すべきです。
このような観念をもって生きなければなりません。
できるだけ短く定めるほど、幸福です。
短く定めるほど、損をしないのです。
その期間に真になるように、準備するその内容が、自分の永遠の生命の家を建てるのです。
(中略)
個人を愛し、家庭を愛し、氏族を愛することとは何でしょうか。
全人類を愛するための教材なのです。
彼らを愛するのは、全体を愛するための教材なのです。
そして、時間と空間を超越したあの世へ行って、すべての人を愛するための教材だというのです。
原理本体論283頁から引用します。
老いて死ぬ日が近づいても、死ぬ瞬間までは肉身を通して霊人体を成長・完成させなければなりません。
ですから肉身生活が重要です。
霊人体を完成させるという話は、愛の円熟、心情の円熟をいいます。
円熟するために、死ぬ時まで愛の生活を実践し、感じながら生きなければならないのです。
上記は、重要な根本問題です。
それを思い出させてくれたのは、2012年に出版された亨進様説教集第5巻28頁のみ言葉でした。
「少林寺に来た理由は何だったのか。
訓練をするためだ。
ここでの全てのことを訓練の機会と考えよう」
と、そのような決心をすると、
大変な状況に対して、より余裕をもって考えられるようになり、
そうなると同時に、
より多くのことを悟り、学べるようになりました。
私達が、地上に来た目的は、まさに「霊的準備」をするためです。
審判の警告は、「短く定めるほど、損をしない」ための恩恵です。
「外的準備」が間に合わないとしても、「愛の円熟」だけは間に合わせたいものです。
天聖経547頁、そして、「天国の門ー真の家庭」127頁にもあるみ言葉を引用します。
今日、信仰者たちが恐れるべきことは、「終わりの日」に訪ねてくる審判ではなく、1日1日の生活圏内で訪ねてくる時間です。
それを、どのようにみ旨と一致させるか、どのようにみ旨と交差路を形成していくかという問題です。
「み旨」とは、「献金」ではなく「愛の円熟」です。
それを家庭連合の人達に教えるのも、私達の「み旨」のようです。
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(その後、2016年7月10日の亨進様説教を見て)
マルコによる福音書の聖句を、家庭連合の人達に捧げたいと思います。
12:33また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。 12:34イエスは、彼が適切な答をしたのを見て言われた、「あなたは神の国から遠くない」。
「献金」を何よりも大事にしていると、神の国から遠くなってしまいます。
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
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