「論戦」に少しだけ参加します。 ~ また久しぶりに家庭連合の悪口
あまり興味が無く、「論点」も分からず、沈黙していました。
しかし、どうやら「個人出版なら良く、組織出版は良くない」ということかと理解しました。
だとしたら、「それほど『組織』を意識しなくても良いのではないか」というのが、私の感想です。
「組織出版」だからと言って正しいとは限らないと、そもそも思っています。
私自身、「組織」の責任分担がありますが、「組織」に拘束されているつもりはありません。
話の流れで、恥ずかしながら例をあげると、訪米のトランプ応援中に、「勝手な行動をしている」と思われていたと最近知りました。
「体の悪い人は、別に精誠を捧げても良い」と言われたのを条件に、確かに楽をし過ぎたかと思います。
しかし、それが「自由と責任」だと信じています。
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上記だけで終われないので、「また久しぶりに家庭連合の悪口」というタイトルで準備していた記事も発表します。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
馬鹿なのです
彼らはお父様との関係を実際に持っていません。
人々が「あの方たちは真実を知っていたのに、なぜお父様を裏切ることができるんだろう?」と言う度に私は理解できません。馬鹿なのです、あいつらにはIQしかないからなのです!彼らはお父様との関係を実際に持っていません。彼らはお父様とのいかなるEQも持っていません。彼らはお父様とのAQを持っていません。彼らにはIQだけしかなかったのです。彼らが持っている「真実」については、それは自慢の種でしかなかったのです。傲慢になりました。そして、その馬鹿たちは、お父様を裏切りました。私が言っていることが理解できますか?
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
真の主人ではない。
息子を送る時つかんで殺してありとあらゆることをした
『そしてこの地に平和世界を創建するために超宗教超国家的な次元ですべての国境と垣根を撤廃しなければなりません。』サタンの国境と境界線だ。我々の教会にも境界線がある?主人たちが全部すべて盗品の購買だ。争って盗んで来て、奪って来て主人の本分をするので真の主人ではない。聖書にもそうだ・主人が僕と息子を送る時つかんで殺してありとあらゆることをしたが、ぴたりとそのようになっている。それを探さなければならない。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
文字がひと文字だけ違っても教派が異なり
2冊の本を書くようになればいずれ分かれるのだ。
そのために信仰の道において差が繰り広げられる。文字がひと文字だけ違っても教派が異なり、このような事と同様に先生がいる時にはそれを調整できるが、先生がいない時には自分たちどうし問題になるのだ。このために伝統的な基盤を拡張してあげなければならない。
一つの単語が異なることによって教派が生じるのだ。発音が少し異なっても他の言葉になるのだ。そのために2冊の本を書くようになればいずれ分かれるのだ。
一言で言えば、やはり「馬鹿なのです」。