「真のお父様との訓読会」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
紙に書いて、祈る
「どうやったら息子が主の弟子になることができますか。どうやったら息子を主の前に捧げることが出来ますか。神様、知恵を下さい。」と祈りながら。
これを祈祷項目に加えて紙に書いて貼るのです。私の祈祷項目8つの中に、「5人の子供たち(一人々の名前を書く)の弟子化」があります。そして、長男と次男には、「この2人の配偶者が神様のみ心にかなった人となりますように」も祈祷項目にあります。これは、私の中で祈ることであって、私と神様との秘密の対話です。
子供たちの名前を一人ひとり、紙に書いて、祈るのです。
事実、これはもう7年前に2代王様が仰ったことです。10年、14年前に1対1子女の日をしなさいと言われたではないですか。
「真のお父様との訓読会」
私自身、私と主の関係を直接持つようにしています。私は最近このようなことをしています。「訓読日誌」とも言いますが、「真のお父様との訓読会」をやっています。私は「主との訓読」このように言うのが好きなのです。御言を読んだり聖書を読んだり、いろんな形の訓読会があると思うのですが、私の場合、聖書にでてくる人物について読んで、要約します。この人物はこのような生き方をした、このようなことを誤ったとか、私はこの人物からこんなことを学ぶことができるな、と、このようなことをしています。
私は素晴らしい篤実なキリスト教徒の方の証しを聞きながら、どうすれば霊的な主との出会いが持てるのか、秘訣は何なのか?ずっと悩んだのですが、私は祈祷に答えがあると思いました。祈祷も難しいのですが、祈祷の中にある祈祷。敬虔な時間。「静かにお父様と持つ訓読会の時間」「主と自分との時間」、それが"鍵"だということを最近とても感じます。そこに充満されている主との出会いがあります。とても大変なときに主を必死に掴もうとしている私を祝福してくださる主がいらっしゃることを感じたりもします。私だけに特別に恩恵を下さる主にも出会え、そこで1対1の主に出会うのが本当に重要だと感じます。
しかし、私もいつも良いことばかりではありません。ある時は辛いと思うこともあり、ある時はやらないときもあり、忘れる時もあります。しかし、確実に私は主の御言を黙想したり考えたりします。そして、私は主にこんなことも話します。「神様、喜んでください、私、とても成長したでしょ?」と言ったりするのです。
私は個人的にこれを皆さんにお勧めしたいです。毎朝の「訓読日誌」、「真のお父様との訓読会」をすることを。
活動をしたければ続けてされてもいいと思います。
しかし、一番重要なことは主との関係回復です。そのようにして主からたくさんの愛を受けなければいけませんね。
(中略)
もどかしいときは誰かに話さなければいけませんよね。話さなければ気が狂ってしまいますよね。そんなときは神様に聞いてもらうのです。神様、お父様に書いた日記を、私たちが亡くなるときに子供たちがそれを見て泣くかもしれません、誰にも分かりません。でも見せるためにしてはいけないのです。