群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

9月20日群馬教会礼拝 御言葉「体恤信仰の重要性」から

9月20日、群馬教会の礼拝では、「体恤信仰の重要性」1971 年 2 月 7 日『文鮮明先生御言選集』40-275~299を訓読しました。


これは、下記で紹介されたものです。


説教者、中村さんの親友を、思い出す御言葉がありました。



天的に何百倍、何千倍の価値的な結果が現れる

それでは、信仰者として物に接するとき、どのように対さなければならないのでしょうか。それは、どこまでも公的に対さなければなりません。公的に接するとき、それが十の価値をもっているとすれば、十の価値だけで見るのではなく、それをどのように千万の価値として見るか、この価値をどのようにより大きく見るかということが重要です。たとえ、その物の価値が微々たるものであっても、そこに神様が介在していると考えれば、その価値を千万倍に高めることができるのです。私が愛する物に神様が関係しているというとき、物の価値は無限な比重をもって現れるというのです。

一つの事や物に対したことによって、自分が環境的に大きな価値の結果を感じるようになったという事実はどういうことかというと、それによって自分がより高い霊的な内的価値を持つことができる位置に立ったということです。そのようにすれば、事をなしたのちにも感謝することができるのです。どんなに大変なことであっても、私がしている苦労よりも、天的に何百倍、何千倍の価値的な結果が現れるという、そのような価値を感じながら行動する人がいるとすれば、それがどんなに難しいとしても、難しいそのことがかえって感謝の対象となるのです。


自分一人を置いてみても、対人関係において、ある難しいことに追い込まれて被害を受けたり、言葉にできないような苦役を克服しなければならない受難の道に入り込んだとしても、その受難の道を自分一人で行くと思ってはいけないというのです。その受難の道を無限な価値の中心である神様と共に歩んでいると考えるのです。そして、神様が共にいらっしゃる受難の道の前に自分が同参したという事実が、どれほど大きな価値であるかを感じ、その苦痛の代価よりも感謝の代価のほうがより大きいということを感じるようになるときは、どんな苦痛の道も感謝の道となり、むしろ神様の前に栄光の道となりうるというのです。


希望がわき出てくる

どんなにつらい道を行くとしても、それが体恤的な感情に接しながら行く道であるならば、なぜか心強く、希望がわき出てくるのです。反対する喚声が高くなればなるほど、それが衝撃となり、刺激となって、私自体の中心が折れてしまうのではなく、それを良い機会にして爆発的な力が作用するようになり、善意の闘争の力がわき上がってくるのです。


勝利の結果をもたらす

さらに、皆さんは蕩減法を知っています。自分が中心的な存在になろうとすれば、公的な立場で蕩減しておく環境をたくさんもたなければなりません。そのようにしなければ、中心存在になることはできません。言い換えれば、自分がもっているものをたくさん差し出さなければならないというのです。もっているものをたくさん差し出すというのは損害です。ですから、自分が困難なことにぶつかった、被害を受けたというときには、蕩減法で消化しなさいというのです。


私が善を行うときに、かわいそうな人のためにも与えますが、怨讐のためにも誠実に与えるのです。それは、どれほどすばらしいことでしょうか。ですから、どんな死地に行っても被害を受けません。そのような動機の存在は、怨讐になったとしても、公的な立場から消化して越えていくというのです。そのような状況でも、怨讐を怨讐と考えるのではなく、そのような位置を、両面的な価値を持つことができる唯一の位置だと考え、そこから感じられる深い価値を探求しようというのです。


それゆえに、いかなる受難の道でも、その受難は自分にとって被害とはなりません。またそれが、引っかかれば死地に落ちてさまようかもしれないサタンの罠だとしても、その罠とは何の関係もなく、むしろサタンが怨讐視する勝利の結果をもたらすことができるというのです。したがって、このような信仰生活をするときには、サタンがどんなに作用したとしても、神様のものとして和解させることができる立場に立つのです。神様は、悪なる世界にいらっしゃったとしても、いつも神様の立場をとることができるかたです。いかなる迫害、いかなる困難があったとしても、それらが私自体をくじけさせたり、滅ぼしてしまうことはできません。むしろ、勝利の資料として、勝利の結果をもたらしてくれるのです。これは、神様が六千年の復帰歴史を導いてこられながら、サタンがどんなに反対しても、神様はそれを勝利の結果として体得し、消化させてこられたのと同じことです。ですから、このようにすれば、間違いなく神様の息子になることができるのです。このような生活態度と、皆さんは関係を結んでいかなければなりません。


その人を励ますことができるのは、御言葉だけだと思っていました。



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「私たちが最大限良い牧師にならなければなりません。自分の家庭において。」


北関東エリア世話人(日本サンクチュアリ協会)


自称:勇一宮(群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会)


(お問い合わせ先:メール hori1447@yahoo.co.jp
         電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )


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