「奇跡が目の前に起きても、それが奇跡だったのかどうかを見る目がありません。」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
1.奇跡を見る目
私たちがこのような集会に出てアンティファに対抗して守備に立つ度に、私はこれが息をする最後になるかもしれないと思います。
実は、集会に行きながらこの集会で、私たちの子供たちが死ぬかもしれないし、私が死ぬかもしれないと思いました。 しかし、GOAが集会を進めながら、ハリスバーグの前で国進兄さんと私にいきなり出て来いと言い、人々の前で演説をさせました。
私たちがもちろん、このように銃器所有の市民たちの前で演説ができる資格がある人たちではありませんが、このようにできたのは神様と真のお父様が作ってくださった奇跡だったと思います。 私たちは多くの時間生きても奇跡が何なのかよくわかりません。 奇跡が目の前に起きても、それが奇跡だったのかどうかを見る目がありません。
しかし、私には分かります。 昨日、今ご覧になっているようにこのように私が演説ができたのは、(集会の取り消しと再招集が繰り返されながら)神の奇跡であり、真のお父様からのプレゼントでした。
「死んでも仕方がない」「演説ができる資格がない」を例として、「自分を低くすること」が、「奇跡を見る目」を生むのだと思います。
それは、昨日の「ヨブ」とは正反対です。
次は、毎度のテーマです。
2.家庭連合の批判
お父様のみ言葉です。
王の王は一度だけ現れました。しかし、皆さんはその人を殺しました。神は人類の真の父母を一度だけ送られました。
そして皆さんは彼を殺しました。そのために全て皆さんは死に値して地獄で苦しみます。このことを皆さんは骨にしみて感じなければなりません。皆さんが自分の手を見る時に”この手が人を殺し、最も血に染まった手である”と感じなければなりません。
皆さんは全てを諦めたとしても、たとえあなたの腕や足を切り落としても、または目を抉り出してもこの罪を返済できることは何もないと感じなければなりません
悔い改め無しに私たちはキリストを受けることは出来ません。
それは絶対に必要です。悔い改め無しに神とキリストに繋がることは出来ないのです。
イエス様を殺したことは、人類の「連帯罪」です。
真の御父様を「削除した」ことは、家庭連合の「自犯罪」です。
いずれにしても、「悔い改め」が必要です。
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