イエス様の「三代王権」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
「二代王」
使徒行伝では、ヤコブは紹介もなく、語り手の発言もなく、ただ不意に現れるだけです。これは、使徒行伝の作者が、すべてのクリスチャンがヤコブの正体と、彼が君主として初代教会を支配していたことを知っていることを想定していたことを暗示しています。
ヤコブとは誰だったのでしょうか。
彼は、十二使徒の一人となったゼベデの子ヤコブではなく、イエスの弟でした。
初期の教会におけるヤコブの君主的な権威は、イエスの死後、イエスの信奉者たちがダビデの血統に沿ってカリフ(後継者)制を確立しようとしたという、20世紀初頭の神学者アドルフ・ハルナックの主張を支持しています。ヤコブはイスラエルの十二部族を代表する十二人の弟子たちに助けられました。ヤコブが生きている限り、エルサレムはキリスト教運動の中心地であり続け、彼が主宰した評議会は、終末(評議会の終わり)の日までの短い期間に、ユダヤ人の人々の生活の糧となり、導きとなりました。
「三代王」
初代教会の統治者であるヤコブの後継者として、エルサレムの公会議は、ヤコブとイエスの最初のいとこであり、父クレオパスを持つシメオンを選びました。ヘゲシッポスは次のように書いています。「正義のヤコブが主と同じように殉教した後、主の叔父の子孫であるクレオパスの子シメオンが再び司教となり、彼の選出は主の近親者として皆によって進められた。」
エウセビウスによると、トラヤヌス帝の治世(AD93-110)の間に、シメオンとイエスのすべての血縁者は丸め込まれ、死刑に処されました。殉教者の中には、イエスのもう一人の兄弟であるユダの孫も含まれていました。教会がイエスの血統に沿って確立しようとしていた一時的な王国は終焉を迎えました。トラヤヌスはその日の最後まで、ダビデの王国が再びパレスチナの砂漠から立ち上がることを恐れていました。ヘゲシッポスは次のように書いています。
「その期間まで、教会は純粋で腐敗していない処女のように残っていました。救いの説教の健全な規則を勝手に書き換えようとする人がいたとしても、彼らはまだ隠れていて、暗い場所に潜んでいたからです。 しかし、使徒たちの聖なる一団がさまざまな方法で命を落とし、自分の耳で神のような知恵を聞くことを賜った世代の人たちが亡くなったとき、その時、神なき誤りの集団が、偽りの教師たちの背信行為によって、立ち上がりました。偽りの教師たちは、使徒たちが誰一人としてもはや生き残っていないことを知って、むき出しの高揚した頭脳で、『偽りの知識』を説くことによって、真理の説教に反対しようとしました。」
家庭連合の「王国」も、二代王様と三代王様を追い出した時に、「終焉を迎えました」。
そして、赤字は、まさに「同時性」のようです。
しかし、ローマ教会は、上記の「異端」に勝ちました。
中世を通して、ヤコブの手紙はキリスト教徒に崇拝され続け、キリスト教の教義をモーセの律法から切り離そうとする試みは一切行われませんでした。このことは、トマス・アクィナスの『神学大全』の次の一節から明らかです。
人が神に結びつくほど、その状態は良くなる。それゆえ、ユダヤ人が神の崇拝に結びつくほど、他の民族よりも優れていた。そのため、申命記4:8には、「また、いずれの大いなる国民に、きょう、わたしがあなたがたの前に立てるこのすべての律法のような正しい定めと、おきてとがあるであろうか。」と書かれています。このように、この観点からは、聖職者の状態は、平信徒の状態よりも、修道者の状態は、世界に住んでいる民間人の状態よりも優れています...
サンクチュアリの人達も、今後、家庭連合の人達に、差をつけていくと思われます。
「天一国憲法」の「自由と責任」があるからです。
「氏族の王と王妃」の状態は、「天使長の奴隷」の状態よりも、優れているからです。
****
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
「キリスト教」のブログは、こちら
任命式の映像はこちら