「聖書はお父様が書かれた」 8月14日東京合同礼拝 澤田教会長の説教から
サンクチュアリ教会に来てから、初めて澤田教会長の説教を聞くことができました。
「天国のことを学んだ学者」の面目躍如だったと思います。
妍雅様の御言葉(聖書の正当性2016.7.20)にスポットライトが当てられました。
聖書を愛することは、すなわち、真のお父様を愛することなのです。
(中略)
主を愛することは、すなわち再臨主を愛することです。
イエス様と真のお父様は一つです。
ですから、聖書はお父様が書かれた本なのです。
7月4日の当ブログ「聖書についての考え方 『初臨の真の御父様のみ言葉』」は、似たようなメッセージでした。
ちなみに、4月29日の当ブログ「真の基元節は来たのだろうか?」も、「2015年8月30日」が発表される前に書きました。
私自身も、「天国のことを学んだ学者」を目指しています。
澤田教会長は、良い手本です。
妍雅様による説明が続きます。
イエス様は神様の精子から、神様のそのエッセンスから来られるのでイエス様は創造される時、神様と共におられたのです。
ゆえに、結局はすべての旧約と新約はイエス様が書かれました。
イエス様とお父様は一つであられるがゆえに、聖書は誰が書かれましたか?
お父様が書かれたのです。
これを理解するために、澤田教会長は、天基3年天暦1月7日(陽暦2012年1月29日)の亨進様の御言葉を紹介して下さいました。
複数の御言葉を比較することは、「学者」の基本ですが、貴重な御言葉を教えて頂きました。
その御言葉について、下記の私のコメントは、澤田教会長の説教とは独立したものです。
1.歴史の転換点(キリスト論の修正)
天福祝祭を始める前に、真の父母様は私たちに驚くべき歴史の転換点をくださったのですが、それは去る1月に行われた「天地人真の父母国民支持大会」でした。
行事の最終日、お父様は私たちに、ご自身と私たちの違いについて問われ、
「私は夜の神様の管理を受け、お前たちは昼の神様の管理を受けているのだ。」と説明してくださいました。
お父様は存在論的に私たちとキリストの違いを非常に明確に決定し発表されるフィナーレをしてくださったのです。
これが、どのような転換をもたらすかというと、次の通りです。
これを通して今まで大きな違いを持っていた私たち統一教会とキリスト教、カトリックの教義的距離を縮めて、私たちが彼らを天の前に今後導くことができる驚くべき時代が開かれたのです。
それはなぜかというと、次の通りです。
私たちは原理を通して「メシヤは人間である」という教えを受けてきましたが、
(中略)
「キリストは100%神であると同時に100%人間」なのです。
(中略)
真のお父様は、国民支持大会の最終日、まさにご自身のアイデンティティに対する存在論的立場を初めて宣布されたのです。
原理講論の理解の修正です。
その結果、イエス様と御父様は、「人間」としては別人ですが、「神」としては同一になりました。
2.主語は「私」「真のお父様」
上記で、御父様の御言葉部分を繰り返します。
「私は夜の神様の管理を受け、お前たちは昼の神様の管理を受けているのだ。」
それを解説する、亨進様の御言葉は次の通りです。
真のお父様は人類の堕落歴史を通して現れた昼の神様から来られたのではなく、夜の神様、罪のない神様、堕落の痕跡に触れることが出来ない夜の神様から来られたので真の血統を全人類万民に恵む驚くべき祝福を下さることができ、私たちの霊魂と肉身を救って下さることができるのです。
私たちは母の子宮を借りて生まれますが、真のお父様は神様の種、すなわち「精子」から出て来られたことを意味します。
このような御父様と比べて、御母様は100%人間であり、ただそれだけです。
****
たまたま訓読した、ヨハネによる福音書3章31節が、ぴったりだと思いましたので引用します。
上から来られる方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属する者として語る。天から来られる方は、すべてのものの上におられる。
36節は、恐ろしい警告です。
御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
任命式の映像はこちら