群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

フェミニストが聞いたら怒るような御言葉です。

最後の決定のための重大宣言(10) : 文鮮明先生말씀選集


最後の決定のための重大宣言(11) : 文鮮明先生말씀選集

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


‘オモニ、水!’

‘オモニ、水!’自分もわかるので‘そう、そう!’と言って水を一杯持って来て置けばよいのだが。持って来て置かず・・・。水もこのような時頻りに従うのがよいので3分の1も持ってくる時があるのだ。腹癒せに、不快だというのだ。


 それでは一杯一度にすべて飲んで‘もっと持って来なさい!’という。3回だけすれば目が大きくなって‘生きられない、あんたは寝ながら楽なので水の使いをさせるが私は寝られない。殺そうとそうだ。’と言って‘エン!’という。女はそうだ。‘エン!’とアンアンアンアン、唇がぺちゃくちゃして目が真っ赤になって目がパチパチとしながら副作用の表示をする。


 女たちはすべてそうだ。あんたたちお嫁さんたちもそうだろう?そうか、そうでないか?そのような人がいない?「そのような人がいないのだ。(オモニム)」オンマがそういうのが何か?他の人がそうでなければ。「私がそうでなかったが何故しきりに話をする?」そうでなくともそうたりうる素質が多いと言うことだ。時にはそうだ。時には、一度そうだったとすればそうだったと話しても(そう)でないと言えない。それを受け入れなければならない。

御父様に反抗しているような韓氏オモニです。


そのような女を置いておけばだめだ。

水をしきりにほしいと言ったので何故いま水を欲しいと言わないのかでと問題が繰り広げられる。それでは私が‘キャッ!’と言うようになれば争いが繰り広げられる。拳が行ったり来たりしてするのが男の性格なのだ。そのような女を置いておけばだめだ。お尻にあざが出るほどに十分に捕った奴なのだ、再びは出来ないように。


 そう、男が女を間違って主管して、置いておいて浮気をして人の新郎を訪ねて離婚できればそのような恥ずかしさがどこにある?‘目を片目にするとか、手を病身にするとかそれでもあんたがよい。’そのように作って残されたものを連れて生きなければ、浮気をして飛んで行くことを願わないことが本当の男だ。


 そこで鞭打たれれば堂々とした鞭、受けなければならない鞭だ。殴ったとアメリカの法廷に立って女を殴った日とは覆っておいて離婚させるが、その法が間違ったのだ。覆っておいて反対するので覆っておいて殴られなければ。反対をしないにもそうなのか?口を防が(塞が)なければならないのではないのか?ぬかが多く混ざった米を抜いて鼻をしかめて顔をしかめてこうだが、それを笑う顔につくるためには教育を再びしなければならないのだ。

フェミニストが聞いたら怒るような御言葉です。
つまり韓氏オモニも怒ったかも知れません。


ともに天国に行くために、同じものを作る

 そう、女は一生涯生きて霊界に行くときに夫を見て不平を言うと言うのだ。‘何故このようにあなたは良い天国に行って私は何故悪い地獄に行くようにしたのか?’問題が繰り広げられると言うのだ。殴ってでも、お腹を裂いてでも、つまっている尾を切って共に死んでも、ともに天国に行くために、同じものを作るために何故制御装置をしなかったのかというのだ。そうだ。


 お母さんがそのように誤れば先生がじーっと置いておいて目をこっくりして騙して夫になるのか?それは夫でもない。案山子でもない。案山子は千年それもじーっと見て見ぬふりをするそのまま案山子になろう。案山子の夫を願うのか?生きた夫は自分が好めばよい所に拍車を合わせて、嫌えば嫌うことを正しくとらえて好むことができるようにつくると言わなければならない。それが本来の夫だ。女というのはいつでも風に飛んで行きやすいのでそこに紐を垂らしておもりを杭で結ばなければならない。

しかし、韓氏オモニの「責任分担」があり、御父様も干渉できませんでした。

神様・夫婦・親子

家庭連合の問題を離れて、本質的な御言葉です。




から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


二人が合わさって、和合して生きることができる家

 天宙平和連合、天宙というのはツ(두:二)サラム(사람:人)が一つになって生きる、‘ハヌル(하늘) チョン(천:天)’の字は二人なので宇宙の家(宙)なのだ。二人が合わさって、和合して生きることができる家を言うのだ。それは個人が住む土窟や王宮や天の国の僻村にある家や天の国の宮殿やすべて同様だ。二人が平和をもって生きることができる天の国に属したそのような王国と同じ世界を標榜し名前を付けたというのだ。名前として。


神様と人が真の愛で一つになった家庭

 人も真の愛が必要だろう?神様も必要なのだ。真の愛がなければ理想家庭が出て来ない。理想家庭はすでに神様と人が真の愛で一つになった家庭を言う。皆さんがそのような家庭になったのかというのが問題だ。深刻な問題だ。


神様を父として侍って生きる

 『彼らが真の愛の人格者、すなわち真の愛の主人になる最も早い道はどのような道だったでしようか?』モデルとして建てた彼らが真の愛の標題になることだ。真の愛の代表的な問題になる人格者と主人になる道はどのような道だったでしようか?『一言で神様を父として侍って生きることができる父母と子供の関係を確保するモデル平和理想家庭でした。』

 『神様と一家族をなして永遠に喜びを感じて生きる道なのです。』

そのみ言葉通り父子関係が、父と子供の関係だけ結ばれればなるのだ。それ以上重要で貴い物がないのだ。一番尊いと言うのだ。『これがこの宇宙を創造された神様と人間の根本関係であるためです。』


二人が、二つの人格が合わさって

 二人が、二つの人格が合わさってすべての愛も完成され、生命が結託されて一つになって成すものが血統だ。

 これが一番重要なのだ。お父さんがいなくともだめなのであり、お母さんがいなくとも、お母さんお父さんの愛が一つでなければだめなのだ。お母さんお父さんの生命が一つにならなければだめなのであり、お母さんの血統とお父さんの血統が一つにならなければだめなのだ。この重要な、人間として一番重要なこのような3大原則がこの二人を中心に愛して実を結んだのが自分なのだ。


孝子になれなければだめだ

 生まれることができない。お母さんお父さんがいるために私が生まれたのであって、いなければ存在価値もないのだ。存在価値がないのが根本を反対して目的の道を永遠に行けないのだ。この原則だけ知っても孝子になれと言う話をする必要もない。孝子になれなければだめだと言うことだ。営々無価値な存在になるのだ。

人は天と一つになって孝子・忠臣・烈女にならなければだめだというのだ。

愛・生命・血統を切ってしまえばすべて無くなるのではないのか?無価値な存在というのだ。父母に孝道をしなければ無価値な存在だと言うのだ。


生涯を捨てて行きながらも心配できる立場で子を愛する父母がいる

実がその根源よりももっと貴いので自分の生命を忘れながら、負けず生涯を捨てて行きながらも心配できる立場で子を愛する父母がいるということがどれほど栄光かというのだ。分かるか?「はい。」


 皆さん、良心を持っているだろう?父母が苦労することを見る時申し訳なく思う、良いと思う?一度二度同じものをお願いしても、相変わらず同じものを千回万回願ってもなければ食べさせてあげようとして、かぶるものがあればもっと良いものを買ってあげようとし、息子娘たちをもっと立派な場に立てるための父母の心

韓氏オモニを使って、サタンは奪いました。しかし天法が待っています。


から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


父母様が生死を意に介さずに国境を出入りした

 その言葉は何かと言えば、父母様が生死を意に介さずに国境を出入りしたというのだ。来れないようにする面倒を見た協約というのをつくってこ奴の子供たちがありとあらゆることをすべてしたが、今回の期間にそこで解放された、ソ連から全部すべて。

今回、日本も、解放されたことを願います。


サタンまでも神様の代身者をして来たとそのように信じる

 先生がおかしな人だ。知らないようだが知って、知っているがわからない人の代表のようだ。その人を全権的に、人格的に、サタンまでも神様の代身者をして来たとそのように信じるのだ。‘あんたも神様の弟の場にいる悪い弟だ。’このように考えるのだ。悪い弟なので兄のものまで奪った。すべて奪えなくて行くのだ。主人のものを奪えなくて来るので最後まで奪おうとそうだ。終わりに行って見なさい。法がある、天法が。

そのように韓氏オモニも信じてあげました。
韓氏オモニを使って、サタンは奪いました。
しかし天法が待っています。



から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


原理の本以外には自分の言葉を入れるな

私が教育しなければ誰が代身できるのか?いないじゃないか?

 それが深刻なのだ。自分の思い通り先生の言葉をもって自分の偽をくっつけて先生の言葉のように話すなというのだ。そのために原理の本以外には自分の言葉を入れるなと命令した。


それが『天聖経』として出たのだ。

 倭政(日帝の韓国統治時代)の時に警察に問題になるために・・・。本がこのように積まれたのであるが、それがあったとすれば若い奴らをそれを聖書とみなして教育したとすれば自分たちが他の遊びをできない。それを燃やしてしまった。燃やしながら私の中にすべてあるので私が再び再現をしてそれ以上すると言って出て来たのだ。それが『天聖経』として出たのだ。その本が何か?『天聖経』が出たのだ。


「原理の本」も、「天聖経」も、否定した、韓氏オモニと家庭連合です。