相続者>代身者>御父様 (文鮮明先生말씀選集から)
まず、確認のため、昨日の当ブログで再掲した、真の父母の代身存在になろう (8、完)の御言葉を、もう一度、引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
代身者と相続者というのは自分よりもよくならなければならない人を立てなければならない。相続者はその家門の先祖たちよりもよい、先祖たち以上になってこそ相続者になるのだ。
その上で、選択を受けた召命的な責任を果たしなさい (2)から引用します。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
代身者でない。相続者です。代身者は誰も代身出来る人をもってきて埋めることが出来るが、相続者は誰かを埋めることが出来ない。それは永遠に永遠に代身者になるのだ。そこでそれを宿命的であるというのであり、運命であるということは代身も出来るのだ。
不等号を使えば「相続者>代身者>自分(先祖)」です。
その上で、「代身者」に関する御言葉が続きます。
そこで代身者を立てようとするある責任者がいるとするときは自分よりもよい人、代身者を立てようとする人は自分がどのような人であるのか良く分かる。自分の性格をよく知るということだ。自分の性格と比較して自分よりもよい、外的にも良くならなければならないし、内的にも良くならなければならないし、環境の与件を中心に環境を結んで行く連帯的な責任においても自分よりもよくあらねばならないのだ。
3月31日の当ブログでは、「お金が無くても、摂理を進める」、すなわち、おそらく、「食口(特に日本食口)の生活を心配する」二代王について書きました。
昨日の当ブログでは、「女性心理を理解する」、すなわち、「女性に優しい」二代王について書きました。
御父様は、「御旨のためには、自分は無慈悲だ」とおっしゃっていました。
もしかすると、食口や女性に対して、「無慈悲になれない」点が、「二代王>御父様」の一つの要素かも知れません。
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