「神様は私たちを赦されますが、私たちが馬鹿なマネをし続けたら、私たちは代価として神様から罰を受ける」
真のお父様に帰ろう!サンクチュアリ教会『三代王権天一聖殿』: マタイ福音書6章は神の義訓練 ◆2024年1月3日テネシー清平水曜礼拝 <2> 文亨進二代王
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
だから神様は私たちを赦されますが、私たちが馬鹿なマネをし続けたら、私たちは代価として神様から罰を受けるではないですか。
私たちを赦されますが。
「主はサウルをイスラエルの王としたことを悔いられた。」~「罪人」~「良心」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から、自分の言葉を引用します。
やはり「失敗」は、(慰めはできても)正当化できないと考えます。
神様の愛(特に外的な恵み)を受ける資格が無い「罪人」であることを認めることによって、失敗をしない「黒帯」を目指せること、そのために「まだ生かされていること」が、「神様の愛」(内的な心情=絶対愛)だと考えます。
八潮市のボブ・ディラン - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から、自分の歌詞を引用します。
かわいそうであれば 許されているはず
許されていないなら かわいそうではない
かわいそうな人は 許されているから
かわいそうな人さえ かわいそうではない
(詩は、情的なものですが、今回、知的に解釈してみました。
「神様の罰(外的)は問題でなく、神様の許し(内的)が重要だ」)