「霊界に行ってもこのような話以外にすることがない。」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
姜貞子が一言してみなさい。
(中略)
「私が告解聖事(訳注:告解の秘跡)を一度だけすればなることが分かったが、このように祝福される時の話をしなさいとお話されるたびごとに先に天の前に申し訳なく我が対のものにあまりにも申し訳なく・・・。」(笑い)あまり申し訳なくない。あの国に行っても表彰されるのだ。や、数年間生きてもそうたりうる心をもって許して先生よりもよく侍って生きることを見れば霊界で祝福してあげるのだ。
『そこで私がこのように食口だけ座った時はすべて同じ事情なのでこのように証しをすることがやさしいが、今日また平和大使の方たちもいてこのような方たちの前で躊躇すればアボニムが‘や、霊界に行ってもこのような話以外にすることがない。’そこで‘アイゴ、地上でだけでなく永遠な国にまで恥辱や汚名を受けるような悪運が差し込んだのだ。’そのような考えが起こります。この朝もまた告解聖事する心で真新しく証しをアボニムがとても要点だけしなさいと言われるのでします。」
祝福を受けた当初、夫が嫌で、泣きながら耐えたら、良くなった、という証です。
それを、御父様はほめていますが、本人は恥じています。
いずれにしても、地上の人生は、霊界でも話題になる、ということです。
元旦の記事は、次でした。
「60歳代になると、いつも痛くて、いつも怪我をしているのか。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
この趣旨は、次です。
これは、神が私たちに、私たちは次の世代を育てなければならないということを思い出させる自然な方法なのです。
自分の時代の終わりを感じ、人生を振り返ることが多くなります。
昨年の公開礼拝における証は、「礼拝」のために、「神様の愛」を証することを目的にしました。
しかし、自分の率直な「告解」は、少し観点が違います。
私は、母親の案で「勇一」と名づけられただけでなく、母親の絶対的な愛を感じながら育ちました。
母親の言葉により、霊界の叔母の協助も意識しながら育ちました。
思春期の高校で男子校に行き、友達の影響もあり、女性への憧れが強くなりました。
先妻のお陰で、海外留学し、霊の親とも出会えました。
原理の中で、堕落論に、最も感銘を受けました。
再祝福を受け、家内は、もちろん最も大切な存在です。
サンクチュアリでは、江利川会長に大変お世話になっています。
霊の親(男)も、その霊の親(男)も、離れてしまいました。
ボブ・ディランは、世俗的だった頃に、「神は女だ」という発言をしました。
人間は、男と女の2種類しかいませんが、自分の人生は「女の存在が大きい」というのが、強い印象です。
しかし、そういう私が、「女神カルト」に捕らわれなかったのは、「神様の愛」です。