「神様ができないこともできるのです。だから神様の息子娘です。」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
創造の前の夜の神様、キリスト、真のお父様とイエスは一つであって、唯一のキリストがそこにいるのです。
ユダヤ教の聖書の中にさえ、キリストがそこにおられることがわかるのです。キリストはハシェムと呼ばれているからです。この場合、キリストはこのような名前ではありません。天使でもない。文字通り、彼は主であり、全地をさばく者と呼ばれているのです。創造の前の夜の神様、キリスト、真のお父様とイエスは一つであって、唯一のキリストがそこにいるのです。彼はそこにいる。彼は地上を歩いている。新約聖書が始まって、たとえ赤ん坊であっても、飼い葉桶の中で生まれたとき、あるいは会堂で議論しているときも、イエスが地上を歩いているのです。
100%デジタル人間でありながら、100%創造主でもある。
ウォークラフトのゲームでは、ジョン・スミスは生きていて、食べて、呼吸していて、普通の世界を歩き回っている。彼はウォークラフトの宇宙の外に存在しているんですよね。もしあなたがその中で彼に会えば、あなたは彼のキャラクターに会い、そのゲームの創造主に会ったことになります。しかし、その創造主は、その宇宙の外に現実に存在している。しかし同時に、彼は他のすべてのデジタル人間とは異なるデジタル人間として、その宇宙に存在している。100%デジタル人間でありながら、100%創造主でもある。なんてこった! わかりますか?ああ、主よ。皆さん、私が話すことをわかってくれますか?
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
神様ができないこともできるのです。だから神様の息子娘です。
もっと大きな星をつくるために全ての星たちを合わせようとすれば合わせることができます。神様ができないこともできるのです。だから神様の息子娘です。父親は息子娘が自分よりももっと立派であることを願う心を抱いているのでありがたいのです。
私が大きくなりうるためにあなたを育てた。
神様に尋ねてみても‘そのような結論を下すのはあなたがすることだ。’と言います。神様ができないのです。‘私はあなたを育ててそうたりうることを願う。私が大きくなりうるためにあなたを育てた。’と言うのです。
「皆さんも男と女が愛するのを見て隠せばだめだ。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
先生は地球星よりももっと大きな地球星をつくることができます。
「神様」=「100%創造主」=「100%デジタル人間」=「神様の息子娘」と理解(整理)します。
「御父様」のことだとすれば、「息子娘」の「娘」の部分は比喩です。
もしも「人間全般」のことだとすれば、キリスト論とは別の話です。
(御二人の御言葉を結びつけようとした私の誤りです。)