「あんたができがよかったのか、私がよくできたのか?よくできたものを決定しよう!」
㉕「忍耐必勝」から 「実際は、是々非々を問わないほうがよい」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した御母様の御言葉を引用します。
自分が悔い改めてみると、相手には何の問題もありません。
同じく、二代王様の御言葉を引用します。
何でもかんでも言う必要はないのです。
上記と関連性を感じる、御父様の御言葉は下記です。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
どこの誰が出てきてすべて整理すればよい
‘あんたができがよかったのか、私がよくできたのか?よくできたものを決定しよう!’という時、それと決めれば全世界が一つもなくすべてなくなります。何であれ残されたとしてもそれ自体には争いの痕跡があります。その中で生きたいのか?
だからどこの誰が出てきてすべて整理すればよいと言うのです。
どのように万王の王になり、我々はチンピラの王になるのか?’という問題が提起されます。王たちの中で一番の第一番になりうる王と一番末の子、一番の尻尾になりうる王の間に系列が連結されえます。
万王の王が父の王であれば、これは孫の王です。孫の王が‘私は万王の王を父として侍ります。’と言えば、万王の王として父になる人は‘千代万代まであんたを息子として愛する。’と言うのです。それでは万王の王とこの王、二人の輩が一つの輩になりえます。父子関係と兄弟関係、それ以外にありません。
数多い王たちがいたが、その王と民たちの間に父親と子の関係になりうる道で互いが一つになりえませんでした。そこで王たちどうし争って血を見たが、、一つの木の種になるとすれば争うことができません。
原理講論166頁から引用します。
家庭は父母がいて初めて成り立つのであり、 そこにおいてのみ、真の兄弟愛は生まれてくるのである。したがって、今や人類の親であるイエスだけが再臨すれば、全人類は一つの庭園において、一つの大家族をつくり、一家団欒して生活し得るようになっているのである。
実際に、冒頭の御母様の御言葉(悟り)をもたらしたのは、御父様の御言葉でした。
㉖「忍耐必勝」から 「周りの人たちが賢實を苦しめるのは、自分たちの思いではなく、神様がそのように苦しむようにさせているのだ」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
ですから私も、次のことを信じています。
㉓「忍耐必勝」から 「兄弟同士が互いに和睦できないまま生きてきました。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した、自分の言葉を再掲します。
他の人のことは気にせず、「従ってきなさい」