「中央集権的な宗教を持つことができますが、彼らは何をするのでしょうか?国家に一元化するのです。」
ラインで、また「神側の中央集権」が話題になったので、これを書きます。
それは下記の「国家権力と結びついた中央集権」とは違うと思います。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
国家に一元化する
中央集権的な宗教を持つことができますが、彼らは何をするのでしょうか?国家に一元化するのです。そして、キリスト教の国々が何をしたかというと、アメリカを除いて、すべてのキリスト教、キリスト教の君主制が、(あることを)何もせずに見送るのです。彼らは憲法修正第2条を与えたことがなく、人々に鉄のつえを与えたこともなく、それをしたことがないのです。ローマ人への手紙13章(1節:「上に立つ権威に従うべき」)を正当化するために権力を集中させ、基本的に全体主義的な国家になることを行ってきたのです。
(中央集権の場合は、)制度全体が犯罪行為を許すための制度になり、基本的にいつも小児性愛につながるのです、それがサタンの根源だからです。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
説明責任がない
どうすれば、どうすれば、どうすれば、正しい社会を作ることができるのでしょうか?そうです。過去のギリシャ正教会やカトリック教会の教会は、教会を中央集権化し、国家と融合させ、キリスト教文化を創造するために、すべてを中央集権化しようとしたのです。それはいつまで続くのでしょうか?長くは続かない。長くは続きません。もちろん、中央集権的な組織では、何が起こるかというと、塔がとても高く、強大になり、ディープステートやワシントンDCのようになります。イタリアのバチカン市国のようなものです。説明責任がないのです。だから、カトリック教会は小児性愛者の集まりのようなものなのです。そう、教会でそういうことができるのです。
キリストの体において、特定の巨大な教派がずっとそうしてきたのです。
完全に分権化した場合、辞めて出て行く人もいる
あるいは、完全に、非中央集権的なルートを取ることもできます。完全に分権化した場合、辞めて出て行く人もいるでしょう。もちろん、分裂の影響はあります。分裂の影響があります。プロテスタントでは、誰もが異端者だと言っています。自分の宗派以外はみんな地獄行きだと。そういうことなのです。このようなキリスト教の王国の両方の形態があるのです。サタンの分裂と破壊にさらされているのです。
中央集権的な警察や軍隊は存在しない
しかし、真のお父様、真の父母様、お父様の血統、憲法を通じた集大成においてのみ、初めて、キリスト教王国が分権化され、文化的だけでなく、軍事的にも結びついていくことになるのです。つまり、初めて非中央集権的な体制が実現するのですから、興味深いことです。分散型という意味では、プロテスタントのようなものです。この宗教に入ることを誰かに強制するわけではありません。エデンの園にあるような自由があるのです。それは非中央集権型の世界なのです。真のお父様が、平和軍、平和警察を与えて下さったため、中央集権的な警察や軍隊は存在しないのです。
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実は、先に下記を書いて、終えようと思っていました。
しかし、「論争」が続いたので、上記も書きました。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
一つの主体に世界がすべて包容されて消化されなければなりません。
神様が考えるに困難なのがアメリカの国民です。千万の国民がおれば千万もの自分の観を持てと言うが、千万もの観がどこにある。
神様が安着できる世界は一つの世界です。一つの主体に世界がすべて包容されて消化されなければなりません。
「神側の中央集権」の是非論争があるようですが、内容を深く知りません。
「御父様の聖和は十字架かどうか」の論争と同じく、「定義」の差ではないかと思います。
【「十字架」の定義 「イエス様よりも平安であった」御父様 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)】
その論争に関連して、ぼんやりと抱いている疑問は次です。
もしも「神様・キリストと各個人の関係」を重視するのであれば、「ある人の主張に頼る」のは不思議な気がします。
しかし、家庭連合のブロガーに対して、「敵の敵は味方」です。