「我々は死んでも霊界に行って、ずっと戦うから。お父様に侍って。」
昨日の記事につながる内容です。
大会で「代」ではなく「大」の「三大王権」が使われるようになって、振り返られた過去記事は下記です。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
犠牲になる覚悟をもたなければなりません。
王様は三代王権を好んで使われます。この永代三大王権の基礎がお父様、二代王様、三代王様のこの三代だからだと思います。
それは、天一国文鮮明初代王の時、その婦人である「韓氏オモニが鳩を裂かなかったアブラハムのように失敗したがゆえに、一代で成すべきことが、アブラハム、イサク、ヤコブと三代に延長され、ご自分、文亨進二代王はイサクの立場であり、イサク世代の者たちは、だから祭壇に上がって、失ったものを取り戻すために犠牲になる覚悟をもたなければなりません。」と強調されす。
最近も、
我々は皆、その天一国は実際に国として来る時に、我々は実質的に見ることが出来なくても、我々の後孫達ははっきりと見ることになるでしょう。
アブラハム、イサクとヤコブ。その三代の中で、イサク時代は犠牲の時代です。壇上で死ななければならない時代です。アブラハムのみ言葉を信仰によって付いていく。「壇上に上れ、死ね」と言われたら、「はい!」と言って壇上に上がって死ななければならないイサク時代です。
二代王とは、二代目、イサク時代です。
そのような心が無ければいけません。そのような勇気。何故?我々は死んでも霊界にいるから。我々は死んでも霊界に行って、ずっと戦うから。お父様に侍って。
’21年8月11日水曜礼拝<第二部>ワクチンは静かな第三次世界大戦、 テネシー清平は世界を救う摂理 ◆ 文亨進二代王
と語っておられます。
昨日のラインからです。
反抗していたら、神様はそれを祭物として受け取ることができなかった
【今日の、み言】
「み言に学ぶ統一原理後編」アブラハム家庭p111
もし分別のないイサクが父親に反抗していたら、神様はそれを祭物として受け取ることができなかったでしょう。
イサクは自分を剣で切ろうとするその場でも、父親に対して子羊のように、何の不平もなく従順にしていたので、サタンが讒訴できる道が断ち切られたのです。
(中略)
命を捧げなければならない場でも、一言の不平不満なく祭物として捧げられたイサクとアブラハムの精誠に対しては、サタンが讒訴数事ができないのです。
ここから初めて信仰の先祖アブラハムの歴史が始まりました。
1968.6.9
伝道復興委員会文責
次を思い出します。
次を思い出さなければなりません。
絶対信頼「神様の絶対愛を絶対信仰して、神様に絶対服従する」