「嫌々ながら行ってはいけない。」
昨日の記事とつながる御言葉です。
二代王様の巡回にちなんで、御父様の巡回時の御言葉を共有して頂きましたことに感謝申し上げます。
『神と会う所』 1965年2月10日 午前1時40分~午前3時40分 仙台教会
から引用します。
十字架の道を行きながら、もっとないかという余念がなければ
一番という話は簡単です。それは皆が願う。万民とも願わない人がいない。しかし、そのためには、その願いにかなう十字架の道を勝利的に行かなければいけない。いやいやながら行ったならば、最後には奪われる。十字架の道を行きながら、もっとないかという余念がなければ、その十字架の蕩減を超えることはできない。イエス様は十字架の蕩減を、そういう段階で超えた。「神よ、できることならこの杯を我より取り去り給え。しかし我願う通りにあらずしてあなたの願いのままにしてください」、「我すべてを為せり」。だから嫌々ながら行くなというんですね。そういう気持で行ったら、最後は奪われる。だから先生はそれを知っているから、迷わない。だから今まで如何なる苦労もしたんだけれど、先生はまだピンピンとしておる。あらゆる波を越えてきても、吹き寄せてきても、それを越える自信を持っておる。
心から「我、先に行きます」という立場に立たなければならない
君たちが勝利しない限り、神の目的完成は成されない。だからこの路程におきまして突き進まなければならないのは、あなたたちである、嫌々ながら行ってはいけない。先生は、今日、『神と如何なる所で会うべきか』、その問題を話しするのは何のためか。この路程におきまして、我々より以上の苦痛を味わってきておる神に対して、心配をかけさせるな。心配をかけさせるな。心から「我、先に行きます」という立場に立たなければならないのが本当の立場であります。それができなければ、後についてくる者はぐずぐず言うな。
身につまされる御言葉です。