「何かを探し求める心がなければなりません。」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
向き合う人がいれば、何気なく向き合ってはいけないというのです。彼が自分に何をもたらしてくれるのか、いつもお腹を空かせた人の心情になるべきです。彼が自分に何をもたらしてくれるかと、そのように求める心がなければなりません。
それゆえ、信仰する人の態度は、すべて自分と関係していると考えなければなりません。なぜそうすべきなのでしょうか。堕落によって、すべての関係を失ってしまったのです。自然に対する関係、本然の人間に対する関係、神様に対する関係を、すべて切断してしまったのが堕落です。切断した関係の世界を、私たちが再び接続させるためには、いつも自分自体が接続させることのできる作用をしなければなりません。そのような作用をしてこそ関係が開拓されるのであって、接続しようとする態度をもたなければ開拓されません。これは、最も理論的だというのです。
ですから、皆さんは、何かを探し求める心がなければなりません。
「人の良い点があれば絶対放さず手本にしようとし、学ぶことも知らなければならないのだ。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した、御父様の御言葉を再掲します。
だからどこに行って何を見ても何過ぎるなというのだ。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
1.嫌な人を歓迎できるようにする
「ああ! その人は見るだけでも嫌だ」、それではいけません。嫌な人が自分に最も近いことを知らなければなりません。嫌な人を歓迎できるようにすることは、この上なく悪なる人が善になることができる近道を行くことです。何のことか分かりますか?
ですから、統一教会に入ってくると、必ず一番嫌いな人がいるのです。必ずいなければなりません。いなくてはならないのです。その嫌な人が私にとって怨讐ではありません。私と最も近くなり得るのです。
「神様が私の全ての祈りに答えを下さった。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した、二代王様の引用(インスタグラムのビデオから)を再掲します。
「神様に愛をくださいと言ったのに、問題の多い人を下さった。私がその人達を愛することができるように。」
2.多くの人の体験談を聞かなければならない
自分の性格の足りないところを埋めるためには、証を聞きなさいというのです。これを聞いて、自分のものとして吸収するのです。補強しなければなりません。それゆえ、多くの人の体験談を聞かなければならないのです。
「カイン・アベル」とか「中央集権」とかではなく、「信仰の同志」という概念の御言葉です。 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した、御父様の御言葉を再掲します。
そのために皆さんにおいてみ旨を志向するところにおいて個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代の中のどのような時代に私が処しているのかということを知らなければならない。そのために自分たちが多くの食口、信仰生活を長くした人にあって見ても彼らの経験談を聞くようになる時、自分がどのようなクラスにいるということがわかる。それでは経験が多い人を先生の代わりに、思慕できる心が小さくなればその人をそのように思慕しろというのだ。思慕し助けてあげなさいと言うのだ。