「私一人楽な場に、自分だけ楽な場に座れるのかというのだ。」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
私が夢をなしていかなければならない中心存在になって、中心家庭になって、中心民族にならなければならない。
これから、今日から平和の王国を発表する時だ。今日が22日だ、22日。ここに来られたお客たちも平和の王国を発表することが夢のような話で分かるのだが、それは夢ではない。その中で私が夢をなしていかなければならない中心存在になって、中心家庭になって、中心民族にならなければならない。家庭と民族がなければ国、国家形成が不可能なのだ。
私一人楽な場に、自分だけ楽な場に座れるのかというのだ。
皆歳が多いのだ。私も歳を取って悪口を言われてこの場まで出てきたが、今訪ねてきたヤンバン(両班)たちが平和大使だとしても今まで旧習に浸っている習慣性、垣根を持っている今まで旧習のサタン世界法の秩序、それを抜け出ることができない。
それを無視して取り消してしまって私一人楽な場に、自分だけ楽な場に座れるのかというのだ。振り返ってみれば世界がそうでなく、国がそうでなく、自分の隣人、親戚がそうでなく、自分の息子娘がそうでないが、天国が、平和の世界がどこにあるのか?大変な問題なのだ。
その国の民を指導しなければならないという心を持っているのだ。
そう、蕩減復帰というのがある、蕩減。負債を無くすのではないのか?蕩減復帰!復帰も知らないが、統一教会は確実だ。蕩減復帰!堕落したその場に行って全ての事を反対に正しくとらえなければならない。
そのためにここ統一教会の教徒たちをすべて見るようになれば暮らし向きがよくなくすべて難しいが、世の中で生きられないと悲しまない。暮らしがよくなくともこれをひっくり返しておく時におじいさんおばあさん、その国の民を指導しなければならないという心を持っているのだ。それが異なります。侍られるという考えを持たずにいる。
「私たちの能力ではなく、お父様の聖霊役事によって、ミクロの内容が世界に広がっています。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から、自分の言葉を引用します。
「限界」を気にしなくて良いのだと思います。
そうすると、怠けることはできなくなります。
「怠ける」ことを戒める御言葉が、いつも私には必要です。