「平和軍と平和警察」「銃」「農村」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
自分の同胞たちが死ぬのに自分は生きると逃げるのか?
平和軍と平和警察にならなければならない。平和警察に支援する人一度手を挙げてみなさい。平和軍隊、平和軍人になろうという人手を挙げてみなさい。男たちは何あげなくとも出なければならないのだ。(笑い)あ、それは簡単だ。車に乗せて一線に持って来て置けば出るのだが。出たが自分の同胞たちが死ぬのに自分は生きると逃げるのか?そ奴の子は行くことを後で激しく吹いてしまわなければならない。ずるい子供たち!そのような屍になるのか?
文総裁は無慈悲な人だ。例を挙げて言えば、ノロ(鹿科の動物)のようなもの鹿のようなもの、八道江山にノロの中で一番大きなノロがどこにいるのか?大将のノロがいるという噂を聞いて探しに行って、一双の大将のノロがおればそこでそれをつかむために上がって、一度に会った。雪が降る夕方頃になったが、暗くなったので穴でクズ(칡)の根を掘って食べようとハアハア喘いでいるのだ。
その二頭、雌雄をびゆーっと筆柄(ふでづか)をもって通いながら刀でもって心臓に差し込んで血を吸い込むのであり、それを怨讐の心臓と考えて。それ以上できる心を持って、それ以上の愛の心を持って許しをするのでそれは天が、サタンも感服するのだ。
御父様は、「愛の人」である前に「正義の人」だったのかも知れません。
銃に対する関心も多い。
見ればわかるのだ。人々が何をつくるというようになれば私がつくれば作る。銃も二乘式という銃があったが、その時のお金で米俵一俵半だ。値段がそうだ。それを買おうと父母に話すと父母様がむつかしい暮らし向きで兄弟たちが多い中で小さな奴に買ってあげるようになっている?父母祖父母が一緒に住んでいるのに。だから仕方なく空気銃の投げ売りの奴を買って私が修理して新版銃のように使いすべてそうだった。銃に対する関心も多い。
家庭連合の人達、あるいはサンクチュアリでも、「鉄の杖」に疑問を持つ人達のご参考です。
農村に行って働いてみなさい
公的な立場で二人が一つでなければだめだ。男が体心が争えば公的なことをできない。何の罪があっても・・・。体心が争う人は、良心的に‘体心が未だに争う。’という人は農村に行って骨が倒され肉が裂けるように働いて見れば私的な私の責任が公の道を受け入れなければならないということを知るのだ。私はそのように考える。
統一教会で苦労したこと、農村に行って骨髄が裂けるように地を掘りながら一度働いてみなさいというのだ。私は土地も掘りありとあらゆることをすべてした。先生が出来ないことがない。カキの穴を掘るのも私が記録を破った。カキの穴でしよぃこを支えることもよくする、カチャカチャと。のらくらな奴ではないのだ。
「心と体の統一」は、「真の愛」でなされるという御言葉を聞いてきましたが、「農村」でなされるというのは新鮮です。
(二代王様は、「訓練」でなされるという表現ではないかと思います。)